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claveciniste et pianofortiste

チェンバロ探しも佳境?/Ou est un clavecin!

3月29日のパリCD発売記念コンサートのチェンバロがまだ見つかっておりません・・・
今回ばかりは、かなりお疲れモード。かれこれ2か月かかっております。
もう10人位に聞いたでしょうか。断られ慣れてしまった感じですね。
迷子の子猫ちゃんを見つけるのと同じくらいのパーセンテージではないかと?
”お~い!チェンバロよ!出てきておくれ!”と言いたい気分ですね。
Mozart FestivalのドイツWurtsburg宮殿(ユネスコ世界遺産認定のフレスコ画)【皇帝の間】にて。普段は写真禁止らしいですが、リハ終了後にパチリ。真面目なコントラバスの方のみ練習中。他の皆さんは地ビールを飲みにとっとと解散してました!楽器の片つけの早い事!

みんな、【Je croise les doigts】cross fingers=幸運を願っているよ
という事ですが、空からパタパタとチェンバロが飛んできてくれればいいですね。
理想はパリと東京に【アパート&チェンバロをそれぞれ2つを完備】そんな夢の夢の様なことは、勿論ないわけで・・・・
ドラエモンのポケットから出してくれないでしょうか?

スカルラッティ/D.Scarlatti

先日、10年ぶりくらい?に銀座のYAMAHAへ行き、リニューアルした店内でチェンバロのCDコーナーを聞くと、ピアノの30分の1くらいの?一番下の目立たないところに20枚ほどありました。

パリのFANACや新宿のTower Recordに比べてかなり少なかったのですが、そこでかつてERATOとDENONの録音した名盤100選というのにスコット・ロスのスカルラッテイやユゲット・ドレイフュスのバッハがあり、早速買ってきました。
ユゲットの写真は今より随分若いなと思ったら、『私が生まれた年の録音!』

ま~!いつも呼び鈴を押して会いに行くと、トコトコと可愛く出てくる若きユゲットとYAMAHAで再会できて、むふふ~と嬉しくなってしまいました。彼女の演奏は他のCDでも感じますが、どちらかというと男性的で構築感がしっかりしています。
録音談義をした時、晩年日本のDENONで録音をする事が多かったそうですが、夜中に録音するのが大好きだということで、ユゲットはハッピーでも、みんな周りのエンジニアは疲労困憊だったようです。可笑しいですね。
彼女は82歳なのにメールをきちんと使いこなしている所が素晴らしいですね。
しかも、パリで出会った誰よりも一番上品な、最上級の丁寧なフランス語で書いてくるので、いつも彼女に書くときは2-3回読み直さないとミスだらけでお恥ずかしいです。
未だにブランデンブルクの5番のカデンツァやスカルラッテイの2オクターブ跳躍するソナタも横に居る私の方を見て弾いたり・・・手が名曲の数々を覚えているんですね。チェンバロ歴は1950年から始めたという事なので、何と62年! あっぱれですね。
私なんか、ひよっこの卵の卵の。。そのまた。。たまごっち?みたいな。(笑)
トコトコおばあちゃんが急に変身!みたいな。
私の中では心も全て見透かす様なブルーの目と聡明さが

『スターウォーズの1000年くらい生きているヨーダ

のイメージで出会った頃はヨーダ、ヨーダと友達に話していましたが、いい加減失礼なので、尊敬の念があるので、ユゲットと呼んでいますが(笑)本人とはPourriez-vous~? Auriez-vous~?という感じで話しています。
もう1枚のCDのスコットは550曲の長大なスカルラッテイのソナタをほぼ全曲録音したんですね。この特選に収められた10曲は550曲から厳選しつくされたソナタなのですが、良く聞くと色々なオリジナルのチェンバロの録音が数種類集まっていることが分かり、大変貴重な1枚だと思います。
本当に素晴らしい曲集です。聞いているうちに何だか元気が出てきて、すっかりスカルラッテイの魅力にはまってしまいました。
当時はほとんどの音楽家が王様や王女様(スカルラッテイの場合)にお仕えして、彼らの為に彼らの趣味に合う様に作曲され、出版する許可も勿論頂いてからでは認められなかった為、楽譜の前に4-5ページの献呈の言葉が原語(17-18世紀のイタリア語、フランス語)で書いてあります。
作曲家が、『この様に弾いて下さい』と指示をしている場合は、装飾音の表や、即興的に弾いて~など細かい指示を与えているので、言語で読んで理解できるというのは、とても大事です。
ということで、イタリア語はできないので、この練習曲集を見ると読めないので
『し~~~~ん・・・・』という感じですが、献呈の言葉のみです。やっぱりイタリア語が話せたらいいな~と思いますね。
1年前にパリから本帰国する時に楽譜屋さんへ行き50冊チェンバロの本をまとめて一生分買い、何と30万ほどもしましたが、チェンバロの楽譜は日本で買うと1冊1万円以上したりすることも多く、ピアノのHenle版やウイーン原典版よりもずっと高い出版社が多いです。
楽譜屋さんへ取りに行くとき、【スーツケースで行くしかない!】とゴロゴロ転がし店員さんも笑ってました。ぎっしり楽譜を詰めて、タクシーで帰宅しましたが、タクシーのおじちゃんも『どっこいしょっ!』勿論パリジャンはそんなことは言いませんが、そんな感じで)トランクに入れて貰い、遥々東京まで引っ越し便で赤道を越えて届きました。
その時に買った1冊がこのEssercizi per Gravicembalo【チェンバロの為の練習曲集】
今気が付きましたが、Clavicembalo でなく Glavicembalo なんですね。
1738年出版された銅版画の初版譜(ファクシミリ)をフィレンツェのStudio Per Edizioni Scelteが再出版しています。
知っている方も多いと思いますが、このイタリア語→チェンバロが日本では定着していますが、フランス語→Clavecin(クラヴサン)、英語→Harpsichord(ハープシコード)
どうして改めて書いたかと言うと・・・以前にコンサートへ来て下さったが、
『チェンバロのコンサートへ行かない?』と誰かにお誘いした時に、
(それはハープシコード?)と聞かれて、
??? 
『なんか、似たような楽器だと思うけど、チェンバロって言うのよ!』
とお二人ともチェンバロ=ハープシコード と一致せずに別の楽器だと思っていらっしゃったようで、コンサートで説明した時に、二人とも謎が解けたそうです。

昨日は、留学の手配や外国人の先生達のマスタークラスを東京で企画しているAnd Vision(アンド・ビジョン)という会社のインタビューを受けさせて頂きましたが、やはりチェンバロを知らないピアノの生徒さんが多く読むのでは?と思い、チェンバロの構造が根本的にピアノと違うこと、私のピアノを約20年勉強後にどの様にチェンバロに出会いチェンバリストになったか・・・などお話させて頂きました。後日、And Visionのホームページの≪対談・音楽家に聞く≫というコーナーに掲載されるようですので、またお知らせさせて頂きます。

すでにインタビューされたパリ、ロンドンのピアニストやドイツのヴァイオリニスト、は同級生や友達が居て、逆に新鮮でしたね。皆さんも知っている方が載っているかもしれませんね。
これから留学を考えている音大生にとっては、参考になルカと思います。
このAnd Visionという会社は5-6年前にできたということで、私が留学した時代はこんなに親切な事細やかにサポートをして貰える会社はありませんでした。。
年間300人くらいの学生がこの会社のサポートと共に海外留学するそうです。

私の話は、相変わらず12年間放浪した~3カ国~の話しが飛びまくって、かなり編集が大変なのでは・・と後で思い、きちんと質問された内容→要点だけお答えするという事を心掛けないと、申し訳ないなと反省しました。

偶然なのですが、インタビュアーの方は何と私と同じ小学校だったということが分かり・・・
小学生の頃は校庭の大きな木によく登っていました。とメールすると、
(あのブランコの横のですよね!私もです)
というお返事。これも何かの縁かと思いますね。不思議です。
綺麗に印刷しているので、そのまま読んで弾けます。現代の編集社によって出版されている楽譜は、ピアノ様に指使いや、作曲家が書いていないスラー、またはFp(強弱記号)まで勝手に足してしまっていることもあり、もともと作曲家が何を書いたのかが分かりにくい為、できるだけ作曲家の時代に出版されたもの(作曲家が確認したであろう)楽譜をもとに演奏します。
またまた、話が脱線!しましたが、私の脳みそはじっとしていられない性分・・・なのでしょうか。
4月末の東京コンサートのプログラム、12月頃にもクリスマスコンサートや今まであまり弾いていなかったスカルラッテイも10曲くらいまとめてコンサートで弾けるようになりたいな~~なんて
思いながら練習しています。
最後の小節線は▲みたいですね。
人間誰でも、毎日の生活でマンネリ化することがあり、年を取ればとるほど、”知っている領域”でヌクヌクと心地よく過ごしたいと思ったりしますが、だからこそ、新鮮な新しい事など少しでも発見があるとウキウキしますね。

スコット・ロスの演奏は、聞いただけでなくそこから活力を頂き、実際に弾いてみたいな~と思わせるような、素晴らしい音楽なので、是非ご興味のある方は聞いて頂きたいです。
私の買った特選盤は聞きやすくてお勧めです。何と定価1040円でアマゾンの中古では600円という破格。
スコットについては、またゆっくり書きたいと思います

ルッカースの旅/Le Voyage de Ruckers

皆さんこんにちは。

可愛らしいアルザス地方の街コルマール
パリの寒さもやっと零下から0度以上に戻り、随分穏やかに感じます。
さて、この3日間はフォルテピアノのコレクションを見た後にフランス・コルマール博物館とスイス・ノイシャテル博物館にある有名なルッカースのチェンバロを見に行ってきました。

3か月くらい前から行きたい行きたい・・・と思っていたのですが、なかなかお手紙を書いたりできなくて、結局1月になってしまいましたが、今世界でも現存している名制作家ルッカースの実際に弾ける状態のチェンバロを弾かせて頂くということは大変貴重な経験となりました。
詳細はまた書きますので、取りあえず写真のみUp致します。

有名なMusee de Unterlinden.オフィシャルサイトはこちらからどうぞ。
窓際からチェンバロの音が何となく聞こえてきました。
あれ?
と思って中に入ると、約束をしていた前の官庁さんがチェンバロを弾いていました。
とてもチェンバロに詳しく、スカルラッテイから、フランソワ・クープランまで楽しそうに弾いていました。こういうチェンバロに詳しい方が管理をしていると、楽器も大事に保管され、多くのチェンバリストやピアニストにも公開され、チェンバロに親しめる環境を作っているということです。

1624年ルッカース。外の装飾はアントワープからパリに来てどこかの工房で新しい装飾にされました。
足は、ヴェルサイユ宮殿に今も保管されているもう1つのルッカースチェンバロを同じ装飾です。
記念にパチリ。
2年前に少しだけ弾かせてもらった機会があるのですが、その数分でもこのルッカースの素晴らしい鳥肌が立つような低音、そして上の段と下の段の音色の違い、(本当に何とも言えない色がそれぞれ感じますが、オリジナルならではという感じです。)などが記憶に残っており、再度またこの名器に再会できたのはとても嬉しかったです。
そして、私の持っているチェンバロもこのコルマール・ルッカースがオリジナルのモデルになっています。
やはり286年経っているチェンバロと新しい楽器の響きは全然違いますね。

朝5時起きで電車に乗って見に行ったかいがありました!午前中いっぱいずっと弾かせて頂き、スイスへ電車でいくことに。

コルマールは木組みの家とこのような木彫りのお人形などがとても有名です。
クリスマスには家全体のイルミネーションのコンクールもあるので、みんな色々な工夫をしているそうです。

コルマールはほぼスイス寄りの国境の町で、40分電車に乗るとすでにスイスのバーゼル、そのまま2時間半ほど電車に乗るともう1つのルッカースのあるNeuchatel(ノイシャテル)に到着します。
抜けるような青空です。左の雪の山はちょっと富士山に似ているでしょ?と。そうですね。
よく見ると真ん中にスカイダイビングをしているパラシュートが見えます。
こんな絶景とお天気の中でスイスの景色を眼下に飛ぶなんて、最高ですね!
NeuchatelのMuseumにあるRuckers 1632年
全て手描きの素晴らしい装飾です。よく見ると、ネコ、クマ、ライオン、鳥、猿などが描かれているとてもユーモラスです。

パリのチェンバロ制作家・Von Nagelの工房で修復されています。




よく見ると・・・
閉じた蓋の装飾
中央のクマが持っている輪っかに狼?がとくぐろうとしています。

これは、鶴?は食べれるけど、狼は食べれないで見ています・・・
そして、この平皿を狼は食べてますが、鶴は食べれなくて見ています・・・面白いですね。
動物やこのユーモアの中にも何かを象徴していたり、ストーリーがあるのではないでしょうか?
そんな謎解きを17世紀の絵画や象徴、レトリックなどからするのも楽しいですね。
さる、ライオン、ロバ、馬などと金貨?などがある箱が開いています。
素晴らしい響板のローズ
300年以上たっているとはいえ、未だに素敵ですね
エビ!
Flemishのチェンバロの響板には、花だけでなく、虫や蛾なども描かれていますが、ブルーの典型的なフレミッシュのアラベスクの中は“お庭”と例えられていたと聞いたことがあります。
だから綺麗なお花だけでなく、色々な虫などもいるそうです。
でも、エビは一体どこから?
まだまだ、知識が足りないですね。
でも、当時の画家のモチーフを1つ選ぶにもきっとその裏には“花ことば”など全て理由や象徴があったに違いありません。
いつか、もっと分かるようになりたいですね。
取りあえず、この美術館に普通に行って、ただ見るよりもこの写真からはもっと詳細をご覧頂けたと思います。

楽しんで頂けましたでしょうか?
音?
音はさすがにお伝えできませんが、本当にタイムスリップしたような・・・・
300年以上時を超えて今も聞こえるチェンバロの音とは、本当に体全体に、そして心に伝わります円。

ヴェルサイユ宮殿のチェンバロ/les clavecins de Versailles


ヴェルサイユ宮殿の鏡の間のある方の”Madame de la Victoire(勝利のマダムの意味)という音楽好きのチェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバを演奏している肖像画の残っているお部屋の近くに近年より2台のチェンバロが展示されています。
調律するメノとチェンバロ製作者のアラン・アンセルム
皆さまこんにちは。
先週、まる1日ヴェルサイユ宮殿で300年前のオリジナルのチェンバロの音をずっと聞かせて頂ける機会がありましたが、何とも言えない至福の時でした。
1728年Johannes・Ruckers
私のオランダの恩師、メノ・ファン・デルフトがアムステルダムからヴェルサイユに来てフランスのチェンバリストの為にマスタークラスを行いました。
最近メノもフランスに呼ばれることが増え、オランダ語、ドイツ語、英語ぺらぺらに加えてフランス語も去年より流暢になってレッスンをしていてビックリしました。聞いたら、今アムステルダムで教えているフランス人の生徒には常にフランス語でレッスンをして、色々な表現も生徒から教えて貰っているそうです。どうりで、住まないと聞かない様なフランス語の表現も自由に使っている訳です。
スタンドのオリジナルは全部金箔ですが、これはコピーだそうです。
オランダ人は世界でも多言語を話す人種として有名ですね。自分の国が小さいせいか、他人にオランダ語を話すことを期待できない分、学ぶ分けです。日本人にも同じことが言えると思いますが、やはりアジアの言語とヨーロッパの言語を根本的なつながりがほとんどない為、ヨーロッパ人の方がメリットは多いですね。また2,3時間ドライブすれば隣の国境ですから、身近に外国語を使う機会が多い分けです。
フランス人は・・・フランス語が一番美しい・・・他の言葉なんて・・・フランスに来る外国人がフランス語を学べばいい・・・という考え方が多い為か、なかなか外国語を何カ国語も話せるという人は少ないですが、それでもイタリア語、スペイン語はフランス語とルーツがラテン語で同じですから、発音をちょっと変えた位で大体みんな意味は分かるようです。
日本語の標準語と関西語くらいの違い方と思います。

さて、話がそれましたがチェンバロのメソードはオランダのグスタフ・レオンハルト(今年81歳でもヨーロッパ中を飛び回って演奏旅行をしています!)の伝統的な流れがあり、フランスでも仕上げはオランダに行く音楽家が2,30年前から多いです。
また、オランダに行ったアメリカ人チェンバリスト達もその後パリに数多くいます。タッチやスタイルの感じ方がフランスとオランダではやはり違う気がします。フランス音楽やイネガル(緩やかにルバートして弾く)のセンスなどは、やはりフランス人の上手な音楽家は何とも言えない優雅さがあり、頭が下がります。

でも、個人的にバッハやドイツ音楽は、やはりレオンハルト系のオランダ人の演奏やアーテイキュレーションなどしっくりくることが多いです。
オランダではやはり作曲家に対して謙虚の心で忠実に表現するという考えが根底にあり、レオンハルトの様な微動だにせず指だけ動かす美しいタッチを習得します。
パリの楽器博物館にも同じ装飾画家(パリ)で仕上げられたルッカースがありますが、このヴェルサイユ所蔵の方は、金箔の後に黄色いニスを塗ってしまった様で(1700年代)色がきれいに出ていないのだそうです。少し剥がれた部分から良く見ると下に金箔のレイヤーがあるのが見えます
結局のところ、やはり素晴らしいチェンバリスト、音楽家は何人だろうが、どこで勉強しただろうが、やっぱり上手い分けです。

面白いのは、私のアメリカでチェンバロの手ほどきをして頂いた恩師ピーター・サイクスとオランダの恩師メノが2年前にボストンで初めて会い、お互いの演奏を聴いてそれぞれとても好感を持っていました。私はそれぞれから相手の先生の感想を偶然聞いて面白かったですが、お互いにチェンバロ、クラヴィコード、オルガン弾きとして感心する部分があったそうです。
その為、今メノがピーターの為に来年ヨーロッパツアーをオーガナイズしているそうです。これは、本当に私にもとても嬉しく、ピーターは素晴らしい音楽家ですが一生ボストンに居たため、ヨーロッパのコネクションがほとんどありません。

しかし、アメリカでお世話になったメノがその恩返しのようにヨーロッパでのコンサートツアーを企画してあげているというのは、何とも微笑ましいと思いました。こういう音楽家の交流は素晴らしいですね。
さて、話が大分それてしまいましたが、オリジナルのチェンバロは、1台1台音が全く違います。勿論、同じ製作者のチェンバロは大体似た傾向がありますが、もう300年以上も経って、その間にベルギーで作られた後にフランスに来て装飾や構造がフランス人の趣味に作りかえられたり、その後さらに1900年に入って修復をしたり・・・
と1台1台まるで誰かの祖先をたどる様に歴史がある訳で、それはチェンバロの人生という感じでしょうか。
昔”レッド・ヴァイオリン”という同じヴァイオリンを使用した3カ国でのお話を描いた映画がありましたが、楽器には1台1台歴史があります。
蓋の上の装飾。使用している木のせいか、かなり重かったですね。また、本体はオリジナルですが1700年代に蓋は取り換えられ、別の装飾になっているということです。
チェンバリストや製作者はそういった歴史を知ることも重要で、特にオリジナルのチェンバロに触れれる機会には、同じ時期や年に作曲された曲を演奏したりすると、何とも言えない“ピッタリ感”があります。
ルッカースファミリーのチェンバロは音質、構造が大変良く、後にフランスでこれらの良い土台を使ってフランス風に改造されました。しかし、チェンバロの裏面は壁側に置き見えない事が多い為、装飾がされていなかったりします。このルッカースも壁側はもともとの質素な典型的なルッカースチェンバロの大理石風の装飾が残っています。興味深いですね。
それは、フランス人にはフランス語で、ドイツ人にはドイツ語で、またイタリア人にはイタリア語で話しかけるのと同じように、フランス風チェンバロはフランスの作曲家、まさにヴェルサイユ宮殿で活躍した宮廷作曲家の曲を今回のようにヴェルサイユ宮殿で300年前のチェンバロで演奏できるのは、至福の喜びですね。
製作番号が書かれています。ルッカースのチェンバロ工房は、“フランダースの犬が最後に教会でなくなってしまう大きな絵”のモデルとなっている有名なフランダース派(今のアントワープ)のルーベンスの工房とご近所でした。
その為、高級なチェンバロはルーベンスの工房で装飾がなされたりしました。

茶道を追及している方が、銀閣寺の1室で千利休の使用した道具でお手前を実際に体験できる・・・というヨーロッパ編といったところでしょうか。
そして隠れた“道具箱”ここに、スペアの弦や道具をしまえます。かなり奥行きがありました
私のチェンバロもルッカースのコピーですが、この道具箱がついているのをてっきり忘れて、万が一コンサート前に弦が切れた時の為に弦が必要!あれ?ないない・・・と製作者に送って貰う様に聞いたのですが、道具箱にない?と電話で言われて、え?ちょっと待って・・・

と見ると、壁側の普段は見ない方にちゃんと道具箱が・・・開けると全ての弦のスペアが出てきました。昔の人の知恵はすごい!
もう1台の1746年 nicolas Blanche 
個人的にタッチはルッカースの方が弾きにくかったですが、ブロンシェは上鍵盤も下鍵盤も本当に何とも言えない素晴らしい音とまろやかなタッチですぐに魅了されました。アランが数年前にヴェルサイユ宮殿より再度調整し直してと依頼がり、今は弾ける良い状態になっています。それでも、急に部屋に20人弱の人がチェンバロの周りに来て弾いただけで、温度や湿度が変わるので調律したばかりでも1時間後にはすぐに狂い始め、小まめに調律が必要となります。




ジャックは全てClaude.Y.Mercierによって修復された際に代えられ新しくなっていますが、アランがさらにパリ郊外のお城にあるもう1台のブロンシェのオリジナルと同じジャックをコピーして全て作りなおしたそうです。

ヴェルサイユ宮殿のチェンバロ/Les clavecins de chateaux de Versaille

皆さまこんにちは。
にわか雨後に一瞬だけ現れた2重の虹
昨日は、快晴とにわか雨の不思議なお天気でしたが、1日中ヴェルサイユ宮殿に行ってきました。
現在ヴェルサイユ宮殿で展示している、修復済のオリジナルチェンバロ2台を弾かせて貰いました。また、幸運なことにロイヤル・チャペルのオルガンも見せて頂きました。
1728年ヨハネス・ルッカース作
ルイ14世や15世の即位やマリーアントワネットとの結婚式も行われたチャペルの天井画、装飾、オルガンは圧巻です。詳しくはコンサート情報以下に写真をUpしますのでご覧下さい。

バチカンのミケランジェロの天井画を思い起こされる迫力です。

ヴェルサイユ宮殿・ロイヤルチャペルのオルガン

ル・ノートルの建設した巨大な運河が見渡す限り続く庭園。
にわか雨でびっしょり
その後の2重の虹




1682年、フランス王ルイ14世(1638年 – 1715年 在位1643年 – 1715年)が建てたヴェルサイユ宮殿のロイヤルチャペル(1699年-1710年建設 La chapelle Royale)は、マリーアントワネットとルイ15世の結婚式や代々ルイ王朝の戴冠式なども行われた歴史のある場所です。

チェンバロを見た後にちょうどロイヤルチャペルでバッハのカンタータのコンサート中だったので、聞きに行きました。

見上げると素晴らしい天井のフレスコ画に圧巻!
絶対王政のルイ王朝の権力はすごいですね。


足元を見ると大理石でルイ王朝の象徴であるユリの紋章があります。
ここに、黄金に輝くオルガンがあり数年前に修復され今もコンサートで使用されています。

偶然、オルガンを修復した方とチェンバロ修復家のアラン・アンセルムさんがいらしたので、特別にオルガンを見せて頂きました。
螺旋階段をぐるぐると上り、オルガンのあるバルコニーの階へ。全ての床、天井、窓がシンメトリーに計算され大理石や金箔、ステンドグラスで装飾されています。

奥に進むとオルガンがありました
見上げると天使が・・・
オルガンの横の部分の装飾
鍵盤は小さめでタッチも軽く弾きやすかったです。
それにしてもすごい装飾
手動で弾きたい音の組合せのストッパーを引きます。

バルコニーからの眺め。圧巻!ルイ14世、15世、また宮廷音楽家であったリュリやクープラン、ダングルベールもきっとここに立ったであろう・・・と考えると身震いしますね。300年前はまさか外国人がこんなに自由に世界中から観光スポットとして来る場所になるとは、誰も考えていなかったのではないでしょうか。
王のお許しのない凡人の私なんかまず宮廷内に普通は入れないでしょうし。時代の変化ですね。
オルガンのドア
もう夕暮れでした。今、宮殿の中庭の建物に全部金箔を塗り直し、屋根まで金きら金!ですが、フランス人からするど、デイズニーランドじゃないんだから・・・とちょっと残念そうでした。アメリカ人や日本人はゴージャス!と喜ぶらしいです。
ヨーロッパ人は古い物に慣れているので新しすぎると抵抗感があるようです。

しかし、今修復・増設中の柵は歴史的に見てもヴェルサイユで実際に300年前にあった姿ではないそうなので、なぜ余計に増設するのか・・という意見もあるようですが、現場監督の人には全ての建設料の11%が手数料で入る為、どんどん増設工事を進めているのでは?とヴェルサイユ宮殿関係者が言っていましたが・・・ちょっと残念ですね。

You-TubeとWebsite

しばらく書いてなかったので、あれもこれも・・・とご報告したいことが沢山です。(笑)
さて、知らない間に去年の5月にパリで演奏したブランデンブルグ協奏曲5番のライブ録音がYou-Tubeで流されていました。ご興味のある方は、ここをクリックして下さい
今の時代はどこで流されているか分かりませんね。知らない間に800回も聞かれている・・・とは。
ヴァイオリニストとフルーテイストのテンポがとても速くて、私は必死で弾いてるだけなのですが、大編成なのでチェンバロの音もあまり聞こえなく、フルーテイストの後ろに隠れてます。(苦笑)
これは、きちんとマネージャーの方がグループをみんなに知ってもらおうと載せた様ですが、つい最近この21人によりアンサンブルのオフィシャルWebsiteができました。
このアンサンブルPrometheus21というサイトのMediathequeというところをクリックすると、同じバッハのブランデンブルグ協奏曲5番のカデンツなど聞けます。
今年も、このグループのコンサートシリーズで夏に南仏でバッハのチェンバロ協奏曲d-mollや秋にはパリで室内楽、また来年1月にはここ数年一緒に演奏しているトリオでデビューコンサートがあります。
まだ行ったことないのですが、どうやらマネージャーの事務所はパリ郊外のお城(!!)ということで、そこのシャトーで1日目に演奏した後に、サルコルトー(コルトーホール)という素晴らしいピアニストアルフレッド・コルトーが作った音楽院エコール ノルマルのコンサートホールでコンサート予定です。
5,6,7,9月はSieclesというフランスのオーケストラのツアーでドイツ、ノルマンデイー、パリ郊外などでコンサートです。
最近は、特にフォルテピアノを集中的にやっていますが、6月にブリュッセルの楽器博物館にある大変素晴らしいショパン時代の1843年の名器プレイエルでショパンのピアノソナタ2番とフランクのヴァイオリンソナタを演奏させて頂けるので、久しぶりにピアノに没頭している日々です。
20年間ピアノ、その後10年チェンバロに集中してきましたが、ここにきてやはり2つの楽器を両立したいという欲張りな(?!)願いで再び去年からオリジナルのフォルテピアノ(アンテイーク ピアノ)でピアノ曲に接していますが、チェンバロを通してバロック音楽を見た後にこうしてピアノ曲に戻ってくると、やはり10年前とは楽譜から多くのことが発見できて新鮮です。
人生は1回!なので、やりたいことをやりたい時に、精一杯やれたらいいなと思っています。
でも、最近欲張りな私の願いを叶えるには、2倍以上努力しないといけないっていうこと?!?!?とその大変さも感じますが、自分の為に今しかできないと思い、初心に戻って色々なことにチャレンジをしたいと思っています。

My チェンバロがやっと来ました!/mon clavecin a finalement fini!

皆様、大変ご無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか。

かなり、ブログをさぼってしまい・・・気がつくと1か月以上経っていますね。
さて、パリも先週は10月以来?!ではないかと思うほど晴天が5日ほど続き、春がやって来た!
とパリジャンは大喜び。
みんな、体いっぱいに太陽を浴びながらお散歩したり公園で気持ちよさそうに日光浴しています。
こんな姿は、日本とは反対かもしれませんね。日本では、日焼けしたくない女性がほとんどで日傘などさしていますが、ヨーロッパの秋と冬は半年くらいずっと曇っている為、春夏の太陽を暇さえあれば浴びている・・・
という感じです。
さて、3年前、パリに住み始める前にドイツに寄って注文した私のチェンバロがやっと完成しました!
本当に長かったです!
パリに運ばれて、自分の部屋で初めて音を奏でた時は、涙が出そうになるくらい嬉しかったですね。
3年間ずっと*どんな音がするんだろう?*、良い楽器だといいけれど・・・なんて想像はするものの、
一番重要な*音*は完成しなければ分からない!

私も随分ゆったりと待つ気持ちでしたが、さすがに1年でできるよ。と言われて注文したのに、結局装飾も1年かかり、チェンバロの構造などを仕上げるにはトータルで1年9か月も遅れました!!
でも、待った甲斐があった・・・と思うほど、素敵に仕上がり、コルマール ルッカースというフランスの博物館に現存する楽器のモデルなのですが、小さいらいに音はよく響くので、これから弾けば弾くほど鳴っていくのでは?と期待しています。

楽器も、できたからといってそのままでは本当の音の良さが引き出されないので、赤ちゃんのように育てないといけません。
下手な人が弾くとチェンバロは(どの楽器でもそうですが)どんどん鳴らなくなり、上手い人が弾いていると楽器もよく鳴ってきます。

ですので、まだ実際にコンサートホールや教会などで聞いてないので是非コンサートに使用して音を聞きたいと心待ちにしています。
それにしても、本当に装飾といい、まあ手が凝っていますね。画家の方に感謝!感謝!感謝!

アンテイークに風に描いて頂いたのですが、日本からパリに訪れていた友達が来たら、ずっと美術館巡りをしていたようで、*うわ!なんか美術館でこういう絵見たよ。*と言ってました。思わず笑ってしまいましたが、そんな感じです。
太陽の光に反射しても金箔のラインが屏風のようにいぶし金に光ってなかなか味があります。
チェンバロの足=スタンドにも最終的にはチェンバロ製作者が1年9か月も遅れたお詫び・・・・ということで
金箔を全部貼ってくれました。
私としては、もう見た目は良いので早くチェンバロを仕上げて持ってきて!!と心から願っていましたが。
おかしなことに、3年も待ったのに初めてこのチェンバロを弾いたのは私でなかったのです!
ちょっと?と思いましたが、もともとこの製作者の楽器を良く知っているケルンの音楽学校のチェンバロ科の先生でKetil Haugsandという方がいます。
以前に何回かお会いしているのですが、偶然製作者のアトリエに別件で訪れた際に、私のチェンバロがほぼ完成していたので、弾いたようです。

かなりの楽器の数をKetilは知っているのですが、最終仕上げにここをこうしたら、とか色々言ってくれたようでパリに持ってくる前にさらに丁寧に仕上げてくれたようです。
後で、メールで *今世紀作られたチェンバロの中でも、最も美しい!素晴らしい!チェンバロ*なんて大げさに書いてありましたが、チェンバロ通の人や他のパリのチェンバロ製作者も来て、それこそ*良い仕事をしている*と感心して見てました。
これ以上書くと嫌味に聞こえるのでやめますが。(苦笑)
3年も待って、あまりに待ち疲れてしまったので、もうここにあるだけでいい!と思うくらいです。
来た翌日は、朝起きて子供の様に目を開けて、*あ、まだちゃんとある。*なんて見てしまったくらいです。

この楽器が日本に行くのはまだ数年先かもしれませんが、いつか東京で演奏できる日もあるかもしれませんね。
取り合えず、今年の秋にパリで室内楽のコンサートでは自宅より運び出して演奏する予定です。どんな音がホールでするか今から楽しみです。

Myチェンバロ90%完成!/presque fini ! mon clavecin!

皆さんこんにちは。
パリはこの3日間ず~っと曇り・小雨です。
ついにどよ~~んとしたパリの暗い秋冬の始まりです。日照時間が一気に減って冬時間に先週切り替わったので日本との時差は7時間から8時間になりました。
ケルン中央駅の前にそびえるドゥオーモ
さて、先週はブリュッセルに行ったついでにほぼ完成間近の私のチェンバロ見にドイツまで行きました。
3年もじっと待っていたのですが、10日ほど前についにあまり怒らない私もぶち切れました(!)
電話で一体どうなってるのか?1年でチェンバロはできるといって3年もかかってまだできていないとは!とカツを入れました。

チェンバロ製作者のLutsさんは、日本人のおとなしいいつまでも黙って待ってくれる人と思っていたようで、かなり電話の向こうで驚いていましたが、やはりヨーロッパ人相手に話すときはかなりはっきりと意思を伝えないとけませんね。
チェンバロの弦はもう張ったけれど、音がまだ出ない状態だよ・・・と電話で言っていましたが、チェンバロの友人に話したら絶対に行かなきゃダメ!!!
というアドヴァイスを頂き、高速列車のタリスでパリーブリュッセル(1時間20分)-ケルン(さらいに3時間弱)-ゾーリンゲン方面の田舎!(更にローカル線で1時間)の片道5時間、往復10時間を掛けて工房に行ってきました。

まあ、鍵盤の1つ1つから木を彫って手作りなのですが、集中して製作すれば1年で完成できるはずなのですが・・・・
しかし、行ってみるとチェンバロを置くスタンドの色何色にするか?
鍵盤の周りはすっきりとクリーム色に仕上げたけれど、フレミッシュ風チェンバロの装飾を取り入れるか?
タッチは何ミリくらいの深さにするか?というのは、実際に全ての音が弾けるようになってから1日かけてじっくりと1音ずつ私のタッチにミリ単位で最終調整するのでまた行かなければなりません!
などなど・・・・電話では解決できないことを、やはり直接見て話して、何よりも待望の*音*を初めて聞けたのは本当に嬉しかったです。

まだ、いくつかの音しか弾けませんでしたが、とても響きのある良い音でした。
勿論、全て作り終えてから楽器の良し悪しは分かりますが、既に大体どのような響きがするかというのは、1音でも分かりますね。
ということで急いでまたケルンの中央駅に戻り再びパリに戻ってきました。
日本からパリに帰ってくるのと近い疲労感でしたが、やはり*今*見に行ってよかったと思います。

12月始めに再び行ってタッチの最終チェックをして完成後にドイツから8時間ドライブでパリの家まで運ばれてくる予定です!
ああ!なんて大変なのでしょうか。でも、楽器のため・・・
次はフォルテピアノが必要なのですが、まだ注文するのは先でしょうか・・・・

ドイツの紅葉した山々。日本とまた違う風景ですね。

チェンバロ装飾終了!/ avoir fini la decoration de clavecin

1年前にドイツからパリに装飾の為に運ばれた私のチェンバロ。
まさか1年もかかるとは・・・・・
でも、画家の方と色々とアイディアを練り、世界に1つしかないとてもユニークな装飾になりました。

画家のパトリックさんは、普段アンテイークの絵画やフレームを修復するのをメインにお仕事をしていますが、以前にフレンチダブルのオリジナルのチェンバロの修復もしていたので、安心してお任せすることにしました。
最後の最後の仕上げは、外側に張った金箔のラインをさらにアンテイーク調に見せるため、
上からとても薄く絵の具を塗り、ニスを塗る作業でした。

まさかそんなに凝ったことまでするとは、私も知りませんでしたが、オリジナルのチェンバロを修復した際に、同様にしたということでしたので、お願いしました。
確かに、前回に金箔を貼り終えたばかりの時は、金色がピカピカと光っていましたが、(ほぼ全ての現代のチェンバロはこの状態で仕上げです)今回訪れると、確かにもっと落ち着いた色のトーンで外観はアンテイークのチェンバロの様に仕上がっています。
比べてみましょう。金箔を貼ったばかりの以前の状態。

そして今回アンテイークの様に仕上げた状態。お分かりになりますね。

1年という歳月と労力、待つ忍耐がありましたが、こうして仕上がってみると大変嬉しく、細部に至るまで画家とチェンバロ製作家と話し合い決めていくので、1つ1つ納得した中で楽器が仕上がっていくのは大きな喜びです。
ドイツから7時間ドライブでこのチェンバロを取りに来た楽器製作者も、大変満足そうで、画家の方にニスの塗り方、どのような絵の具を使ったのか詳細に聞いていました。
というのも、ドイツに帰ってからもともと水色!のチェンバロにしようということで、既にブルーに塗られた蓋の後ろや鍵盤の周りを再び黒に塗りなおさないといけないからです。
そして、響板の周りもブルーのままなので、フレミッシュスタイルのチェンバロの格子模様の柄(紙に印刷されたものを張る17世紀からの手法)を張るのも、色のバランスから良いのでは?とみんなで相談しました。

夏明けには、肝心な鍵盤、弦、ジャックなど全ての機能が付けられ、張れて*音の出る*チェンバロとなってパリに再び戻ってくる予定です。
本当に、この3年間は長かったですが、あともう一息で自分のチェンバロが弾けると思うと、とても嬉しいです。

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