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claveciniste et pianofortiste

京都の新緑

新学期が始まり、毎週月ー水曜日は京都の同志社女子大学と京都市立芸術大学(前期のみ)へ通っています。
約20名のピアノ科の生徒に副科チェンバロをのレッスンさせて頂いています。

ピアニストを目指している若い学生に、私自身ピアノ科の時には知らなかった様式やチェンバロのアーテイキュレーション、鍵盤音楽の発展などを親しみやすくお伝えさせて頂ければと工夫をしています。

いつの間にか、毎回富士山を見るのが趣味になりつつあります・・・雄大で素晴らしいですね。

昨年の前期は朝起きて新幹線ーレッスンを1日中して日帰りで夜中に戻ってきていましたが、京都駅構内から出たことがなく、トンボ帰りでした。
後期は前泊をしないと授業始業に間に合わない為、紅葉の季節など京都を散策しました。

同志社女子大のカフェテリア。まるでホテルのようにパノラマのガラスから豊かな自然が見えます。

京都の祇園にある高台寺は、紅葉の季節も大変素晴らしかったですが桜が散った今でも新緑の美しい季節です。

祇園の建仁寺は牡丹の花が満開でした。

京都は、1年いつでも美しいのですね!

 

 

トスカーナVol.6/Toscane Vol.6

トスカーナの田舎で一週間過ごし、すっかり村人になった後、Firenzeで半日過ごしました。
さて、ご一緒にお散歩してみましょう!

アルノ川と有名なポンテ・ベッキオ(古い橋の意味)
朝、Montisi-Arezzo-Firenzeで2時間電車移動。11時頃に到着し、20時のパリ行の飛行機まで半日Firenze観光。小さな程よい大きさの町なので半日間・・あっという間に過ぎました。

橋の上の貴金属屋さんは有名な観光名所。一番上は秘密のメディチ家の回廊になっていて、ウフィッツィ美術館まだ繋がっているそうです。

歩ける街は良いですね。ぐるっと徒歩で30分もあれば、駅ーDuomo-アルノ川まで行き、現地のイタリア人で溢れている(美味しい証拠)のレストランでランチを食べに。
この橋を北へ渡り、次の橋までの裏道に現地のイタリア人が行く美味しいレストランが数件あります。

去年行って見つけたCamilloというレストラン。お肉のラビオリ&キアンティワイン。残念ながら3cm飲んだだけで、顔がか~~っと赤くなってしまうので、あまり飲みませんが、せっかく最後のイタリアのランチだから!と。ワインは美味しかったですが、昼間から酔っぱらってしまいました。
ここのティラミスも絶品ですが、大きなバットで20人分くらい作られており、そこから切り崩すと、クリーム状のマスカルポーネと言う感じですが、忘れられません
Duomo.凄い観光客ですね。大理石と幾何学的な建築がBravississimo~~~っていうんですかね?みんなコンサート後とかにジョークで使っていましたが。

塔は、高すぎて写真に収まりません。前回は寒い凍てつく冬で観光客は遥かに少なく、普段のFirenzeが見える気がしました。
Duomoのお菓子の箱!
ジェラートが美味しそうで、思わずダブルで!
こんな見とれている親子が・・・

ウフィッツィ美術館が右側にあり、ダビデ像がそびえております。こちらはレプリカで美術館内に本物があったと思います。
この建物に入ると素晴らしいフレスコ画が見えます。バチカン美術館にも素晴らしい天井画が広がっていますね。古いイタリア様式のチェンバロにもこの様な装飾が描かれていたりします。
数世紀昔の風景が伝わってきます。

フレスコ画の風合いは、素晴らしいですね。ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ≪最後の晩餐≫も修復されて公開されていますが、何とも言えない風合いで心を打たれます。ロンドン・ナショナル・ギャラリーにある、ダ・ヴィンチの鉛筆のデッサンも何回見ても、また見たくなる名画だと思います。
ダ・ヴィンチが晩年の貴重な数年を、遠いフランスへわざわざ高齢で旅して、モナリザを抱えて来たお蔭で、今もルーブル宮殿にあるというのも、最近知りましたが、ロワール地方にある彼の済んだお城はとても可愛らしいお庭が広がっていました。イタリアとフランスは、絵画&音楽において昔から深い関わりがありますね。
大変奇遇なことに、バチカン宮殿にあるラファエロが”最も理想の形”としたローマかギリシャ時代の人体像(首、腕、足がなく胴体のみ)をアントワープのルーベンスの家(今は博物館)に同じ像のデッサンがあり、はっとしました。

トスカーナVol.5/Toscane Vol.5

更新が遅れましたが、7月のトスカーナ紀行Vol.5です。
世界中から集まったチェンバリストと楽しい1週間を過ごしました。4日目だったか、私がプールで泳いでいると、”みんなでThermaへ行くから来る?”とベルギー人の子に誘われました。急いでシャワーを浴びて行くと、”水着は?”と。
”え?どうやら、温泉プールにでも行くのかな?”と取りに行き、車に乗ると、シエナ方面へ1時間ほど田園の中を走って行きます。時差で眠かった私は、車内のベルギー語はいつの間にか”やっぱり分からない言語→子守唄になっており、爆睡しておりました・・・
ついた先は、真っ暗闇。そうです、森です!そして、温泉特有の硫黄の匂いが。
まさか!!イタリアに温泉!?しかも自然の中?

これは、フラッシュの時のみの光景ですが、真っ暗闇でした。
すると、みんな見えない森を降りて行き、真っ暗闇の中、携帯の明かりを頼りに”ここら辺で着替えようか?”と暗闇で男女みんなで着替え始めました。
”え?”そう。だ~れも気にしない。真っ暗闇だし。
という事で、適当にみんな荷物置き場を草むらの横などに決めて着替えていると、もう1台の車で到着したルセとイタリア人の女の子の声が聞こえてきました。
みんな、お構いなしに一緒に着替えている様子。そのうち、着替えた順にお湯の方へと消えていきます。
真っ暗闇の中、水の音と人の声だけが聞こえます。お湯の方へ入っていくと、何と暖かい!おお~~。バーデンバーデンなどの温泉も日本人には”ぬるすぎる”と聞きましたが、日本人にも程よい38度くらい?

この石垣の向こうは川!
すると、チェンバリストみんな水着で”Bravissimo~~!!”Super~~などと、色々な言葉でみんな感動しています。どうやら、デイナーの後にルセの提案で、【テルマへ行ってシエナでジェラートを食べようツアー】だったらしいという事が判明。
見上げると満点の素晴らしい星空。これは絶景でしたね。その後、入っていると、ルセが”隣の川はほどよく冷たくて、湯冷ましに最高だよ~”と、なぜか1人で泳ぎに行きたくないのか?道ずれ・・・!?
ジャバ―っと石垣を超えると確かに10度くらい温度が低い。でも、日中はかなりの暑さの為、そんなに冷たくなく、橋の向こうまで泳ごうと。大自然の川の中を泳ぐとはこんなに解放感な~と子供に戻った気分(笑)
(中世の町・シエナ。トスカーナ地方には沢山塔のある町が今も残っています。)
すでに11時過ぎだったにもかかわらず、やっぱりシエナにジェラートを食べに行こうということになり、また車で1時間。着いたら深夜過ぎでしたが、有名な広場は夏の観光客で賑わっていました。
シエナでジェラートを!

みんなでパチリ!
帰宅したら1時半頃。あまりに時差で眠くて髪を洗わずに寝たら、翌朝髪を洗っても硫黄の匂いが取れずに、水着もしばらく臭かったですね~。
すると、翌日レッスンを受けていた友達が、”なんかルセ臭い~~と思ったらあれは、温泉だったんだ~”と2人で大笑いしていました。そういう私も硫黄臭かったと思いますが!
イタリアの香水は硫黄の匂い?なんて。
いえいえ。16世紀にカトリーヌ・ド・メディシスがフランス王アン二世の王妃として嫁ぐ際に、持って行ったフィレンツェの香水が、フランス王族の間で、大流行になったそうです・・・

オシャレなフランスも、昔も今もイタリアに美術、音楽、ファッションを学ぶというのは変わっていない様です。

イタリア・トスカーナ/Toscane en Italie

皆様こんばんは。
ヨーロッパも気温は30-34℃でしたが、湿気が38-40%。それに比べて東京は湿気78%?!?!

気が付くと、夏をまるまる日本で過ごすのは13年ぶり・・・
チェンバロだけでなく、私自身も湿気に弱くアメーバ―の様に溶けそうです。
さて、旅行中の写真が溜まってしまいましたので、Upしていきますね。
昨日は、結局朝7時まで時差で寝れず、現在3時前。

明日は、お昼からリハーサルで明後日はピアノの本番があるのです・・・
大丈夫でしょうか?寝ますね。
2週間のトスカーナ&パリ旅行記です。

トスカーナでは一日8時間チェンバロ漬けの毎日を過ごし、バッハ、クープラン、デュフリー、ロワイエ、スカルラッティ、バードなど色々な作曲家の曲を聞いてました。
11人のチェンバリスト
(ベルギー人、イタリア人、ドイツ人、日本人、台湾人、ポーランド人)とクリストフ・ルセと共にレッスン&練習%楽しいご飯などで濃厚な4日間を過ごしました。
会話は40%イタリア語、40%英語、5%ドイツ語、5%ベルギー(フレミッシュ語)10%日本語という感じでしょうか。

N.Y在住の8年前カナダ・バンクーバーで知り合ったAyaさんと嬉しい再会で、今のアメリカ、東京、パリなどの色々な話に花が咲き、とても楽しかったです。
チェンバリスト&ピアニストでありながら、トライアスロンもしてしまうAyaさんとイタリア人のLaura

15世紀前からの?人口200人のMontisiという村。一番上にあるCastello【お城】にチェンバロが6台位置いてあり、夏に世界中からチェンバリストが集まります。
Montisiにはこの一本道しかありません!
去年はパリーピサーフィレンツェでしたが、今年は、東京(30℃)ーパリ(22℃)ーフィレンツェ(34℃)で、気温の変化も激しく、時差も眠くて大変でした。

中世の頃の紋章の旗でしょうか。村中にかかげてありました。


夜10時半ごろまで明るく、午後8時を過ぎてやっと日が落ち始め、暑さも和らぎます。
10キロの荷物をしょって行ったら、肩がバリバリに!筋トレ後みたいに?なってしまい、プールで肩をほぐしました。
ふと見ると、見渡す限りの田園、オリーブの木、青空、そしてラベンダーの香りと蜂のぶんぶん飛ぶ音を聞きながら、泳ぐのは至福の時でした。



刻々と変わっていく夕日

ヨーロッパ

皆様こんにちは。
蒸し暑い日が続いていますね。
昨日、調律師さんお勧めという1%ごとに湿度設定をして、自動調節してくれる除湿機が届きました!
早速使ってみると、なぜか温風が出てきます!
その為、冷房と除湿機と同時にかけないと、室内に居られない感じでね。
デリケートなチェンバロを管理するのに、最も難しい時期ともいえるのではないでしょうか。
このままでは、チェンバロにカビが生える~~~
≪チェンバロ救出作戦!≫
チェンバロの管理の為に、24時間空調管理をできるアパートを借りるか、隣の菜園に【チェンバロ小屋】でも建てようか~なんて案まで出ているほど悩まされる問題です。
どうにか秋まで乗り切ります!

さて、気が付くとあと4日でヨーロッパへ発ちます。
イタリア・トスカーナ1週間&パリ1週間=2週間になります。
ラファエルやパスカル、バカンスで居ない友達も多いのですが、恩師のユゲット・ドレフュス(82歳)にはお会いして、バッハやスカルラッテイを聞いて頂こうと思います。
こうして、パリから帰国して4月以来3カ月ぶりに行きますが、丁度よい距離感です。
近すぎず、遠すぎず、そして目的を持って短期間で行くのも良いと思います。

今は、日本での活動を中心に音楽教室やコンサートなどの企画を立ち上げ、広げていく事に重視しています。
来年の5月にはラファエルも再来日する為、また何か楽しい企画をしたいと思っております。
夏が終われば秋、コンサートの準備は半年前~1年前から動き始めても、時間が足りなくなることが多く、無駄のないオーガナイズも大事になります。
今は、音楽教室のサイトが完成し、ホームページを作っています。
が!
素人な私には、チンプンカンプン・・・
1から説明してくれているサイトを横に開いて、学んでいますが、
取りあえず必要な事柄は記載したので、近日中にUpし、8月に帰国後さらにデザインや機能などを改善したいと思います。
それでは、皆様も素晴らしい夏をお過ごしください。

バッハの旅 その3/Le voyage de Bach Nr.3

バッハの旅がそのまま・・・になっておりましたので。
Bach Museumの続きです。

バッハの楽譜に使用されている紙には、透かし模様が入っています。【月】
【MA】の文字
この透かしから、何年代にバッハが使用していた【紙】かを判明し、作曲年数を辿っていく1つの手がかりになります。
透かしの模様リスト
これが、実際に【紙】を作っていた機械(中に透かし模様が入っています)
各時代のバッハの音符や記号の違いからも作曲された年代を推測できる手がかりとないます。

カンタータの自筆譜
コラール・カンタータ” Was Gott tutt,das ist wohl getan” BWV99
1724年6月~1725年3月にかけて40曲のコラールカンタータを作曲し、バッハがこれ以上に制作した時期はないという説明。
通奏低音(Continuo/チェンバロやオルガン、チェロパート)

1735年1月30日初演されたカンタータ” War Gott nicht mit uns diese Zeit” BWV14
Altoパート
アップ画像
これはJ.S Bachの次男、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハの自筆譜
Andante ma non troppo(歩く速さで、でも早すぎずに)のテンポ指示


バッハの家系図

J.S Bachは3人兄弟?だったんですね。

J.S Bachの子供達

バッハが住んでいた都市名(当時は、小さな村だった方が多いかも知れませんね)と年代。興味深いですね。

では、続きはパート4に続く・・・

バッハの旅 その2/Le voyage de Bach Nr.2

バッハのカフェに入りたいな~!という思いを後に、取りあえず博物館へ・・・
すると、2時間以上じっくり見れるほどの充実した内容でした。
そんなに大きな博物館ではないのですが、何しろバッハの自筆譜や有名な肖像画などが勢ぞろい!しているので、音楽家やバッハファンにはかけがえのない資料ですね。
それでは、一緒に見て行きましょう!
Originalという文字/このお部屋の物は全てOriginalということだそうです。
1747年にJ.Sバッハが音楽学術教会へ入会した際に提出したハウスマンにより【肖像画】
手元に持っている楽譜は6声の3重カノンです。
当時は、勿論今の様に証明写真もないので、画家さんに絵を描いて貰い、この手元に持っている無限カノンには、【数字】大好きなバッハからのメッセージがあります。

この音楽学術教会には、すでにヘンデル、テレマンというバッハも尊敬している音楽家が会員になっています。
大学の頃に有田正広先生の授業で、この3声無限カノンについて聞いた時は、本当に驚きました。
もう10年以上前の記憶なので、きちんと覚えていないかもしれませんが・・・
①1747年
この音符には、実は入会した【1747年】=1+7+4+7=19
確か2段目と3段目の音符を足すと19個の音符=入会年を音楽で表していたと思います。
バッハのpapa!やっぱり恰幅が良いですね。(笑)
②カノンの低音ライン=バスは、ゴルトベルク変奏曲にも使用されているシンプルな低音ですが、もともとはテレマンがよく用いた典型的なラインで、14代目に入会するバッハとしては、13代目に入会た【テレマン】を尊敬しているという意味で、彼を象徴するバスラインをここに使用したということです。

③バッハの名前=14&41アルファベットをAから順番に1,2,3と数えていくと、
B=2
A=1
C=3
H=8
BACH=14
になります。
J.S BACHを足すと41 になります。
ラテン語ではI=Jは同じとされていたので、J=9になります。
ということは、14も41もバッハの名前を象徴するシンメトリックな数字です。
ということで、曲の中に出てくるカノンが14回だったり、41回であることはしょっちゅう。
でも、聞いている人にはほとんど分からない楽譜の裏のメッセージ。

果たして、どうしてこの様な数字のメッセージをバッハは作曲の中に織り込んだのでしょうか・・・
有田先生曰く、敬虔なプロテスタントであったバッハは、
自分の音楽を全て神へ捧げていたのではないか
だから、聞く人には分からなくても、自分と神の間には、常に絶対的な忠誠を近い、カンタータやミサ、受難曲を教会の為に作曲したのではないだろうか・・・
この推測は、なるほど・・・と思えるものでした。
この赤い丸の部分は、次ページの音符です。バッハもめくれるタイミングでない場合は、【あんちょこ】みたいにちょっと楽譜の隅に書いていたんですね。今は、みんな縮小コピーして貼ったりしますね(笑)
この肖像画の話を聞いた頃は、大学の試験やコンクールで必ず課題にあるバッハの音楽が、実はそんなに深淵なものだったとは・・・
と強い印象を受けました。
そんなこともあり、ただ器用に上手にバッハをピアノで弾くというよりも、できるだけバッハの目指した音楽に近ずきたい・・・と古楽に興味を持ち始めたのもこんなきっかけだったかも知れませんね。
Continuo(通奏低音)パート
ゴルトベルク変奏曲が書かれたのも1741
そして、1975年にフランスのストラスブールで見つかった初版譜の最後のページにバッハ自身が書いた【14のカノン】が見つかり、今はパリのBibiliotheque national(国立図書館)に保存されています。
変奏曲の最後に14のカノン=BACHのカノンによってバッハがサインしたとも考えられるという論文を昔アメリカで修士論文の研究をしている時に読んだ気がします。粋ですね。
しかし、このカノンは筆跡鑑定などから晩年の【音楽の捧げもの】を書かれた1747-48年だろうということです。
さて、まだ博物館へ入って5分位の内容で随分長くなってしまったので、次回へ・・・

バッハの旅 その1/Le voyage de Bach Nr.1

11月にバッハのゆかりの土地、Leipzigへ行ってきました。
Upするのが遅れていたので、バッハの旅を遅れながら載せます。
LeipzigのThomas Kirche【トーマス教会】の銅像
これまでに、何人の音楽家とバッハファンから世界中から訪れたことでしょう?
同じ町Leipzigに住んでいたメンデルスゾーンのステンドグラスがあります。
忘れ去られたバッハの名曲を死後100年経って初めてマタイ受難曲を初演したり、メンデルスゾーンのお陰で世界中がバッハの名曲を再発掘したので、彼の功績は大きいですね。

その右となりにパパバッハ!子供が20人くらい?も居たということで、私はいつのまにかPapa バッハと呼んでおります。

トーマス教会のオルガン
中央にバッハが眠っています!
Bach キャンドルでお参り!


バッハワイン!
トーマス教会の前に最近リニューアルしたばかりのBach博物館があります。

中庭の左にBach Archivがあります。バッハの出版に関する膨大な資料があります。
中に入るとBachカフェが!
オシャレですね。
さて、博物館はどんな感じでしょうか?

湯河原~つばき~/Tsubaki a Yugawara

今日も寒い日が続いていますが、快晴ですね。
ボストンも、毎年11月~3月までマイナス15度まで下がる凍てつく寒さでしたが、快晴とチャールズ川が見える景色は、心が晴れ晴れとする感じで、よくボストンーパリで一緒だった友人と、マイルド(あまり寒くない)だけどグレーなパリのお天気 VS 恐ろしく寒いけど快晴のボストンとどちらがいい?
と究極も選択を話したことが何回かありました。

日本は・・・その空間くらいで丁度良いでしょうか。
さて、もう10日ほど前になりますが親戚と一緒に温泉旅行へ行ってきました。

熱海の海。寒い中サーファーが数十人居て、相当好きなんだろうな・・・と。
お部屋に着くと、こんな素敵なお着物が迎えてくれます

ゆっくりお茶を頂き、内風呂へ入りました
檜のお風呂から日本庭園が見えます


お正月らしい素晴らしいお夕食でした。
お品書きだけで、びろびろ~~っと長くて、達筆・・・
お恥ずかしいですが、中には読めない魚?も居て、みんなでクイズ状態になっていました・・・
2段のお重を開けるとこんなに綺麗な器が!
透明なのに素晴らしい深みのあるだしでした。果たして日本料理のシェフになるには何年かかるのだろう?
こんな味は絶対に出せない・・・と一口一口美味しく味わいながら頂きました。
こんな新鮮なお刺身は久しぶりでした。
手で描かれた素晴らしい器と漆器。芸術品ですね。
88歳の祖母の手術が成功した快気祝いということで左に上品なお赤飯が用意されています。
美味しいお料理に話が弾み、長唄を長年やっているおばあちゃんに歌って~とみんなで盛り上げると・・・
何を歌おうか?と考えている祖母に何と急に50年前の記憶?で父が急に”勧進帳”を歌い始め、母も私も初めて聞いて口が開いたまま。
おばあちゃんが暗記していなかったので二人で歌って楽しそうでした。
というか、どっから出てくるの?という感じ。
私は、全く記憶力がだめなのですが、父はどうしてか英語の文法、フランス語の発音、ドイツ語のダルムシュタットの方言・・・など数十年昔の記憶がそのままインプットされていて、ドラエモンのポケットみたいに出てくるみたいです。
ので、勧進帳も中学の頃におばあちゃんが練習していた謡回しなどそのままメロデイーとして入っていたようです。そして、人前で全然上がらないタイプ。私は、やっぱり舞台でも緊張しますが。
長所はなぜか受け継がず・・
他のほっぺ赤い(中学校のあだ名:アンパンマン&おかめ納豆手足、胴体、首短い!!・・・というどうでも良い部分ばかり似ているんですけど・・・
子供は遺伝内容を選べないんでしょうかね!?
このお漬物とご飯だけでいいよね!と言ってしまったほど美味しかったバラエテイーに富んだお漬物の味。忘れられません。

あまりに品数が多くて、しばらく”とど”の様に胃がパンパンでしたが・・・
やっぱりまたお風呂!
そして、朝風呂。誰もいなかったのでパチリ。

露天風呂は新鮮な空気と共にポカポカと暖まれていいですね。
温泉に入るお猿さんの気分が分かるわ~~って!?

目の前に広がるのはこんな雄大な景色で四季おりおり紅葉などで変化するそうです。

【おまけ】

こんな看板が・・・これを書いた方、なかなかジョークのセンスがある?
それとも本当にこういう内容なんでしょうか。

エズ/Eze

皆様こんばんは。
今日は、すかっとした快晴!と思いきや本格的な寒さになりました。
それでも、ヨーロッパの石造りの心身ともに底冷えする朝霧の中の寒さからすると、まだ【耐えられる】寒さではないかと思います。
さて、熱海の海を見て思い出した・・・
南仏ニースから車で30分くらいの場所にある、岸壁に建てられた中世の町Eze(エズ)をご紹介したいと思います。

一生に1度は行ってみたい!!と願っていた地中海の絶景の見える素敵な街です。
思いがけずフランスとイタリアの国境のMentonモントン近くに住む親しくさせて頂いている方を訪ねた際に、ドライブで連れてって頂き忘れられない思い出となりました。
こんな素敵な風景を見てカフェやアぺリティフを頂けます。
フランスの高級シャトーホテルはRelais Chateauという系列でランク付けされていますが、このホテルもその1つのChateau de la chevre d’or(金色の山羊のシャトー)です。

リンクはこちらよりどうぞ。ホテルに泊まって居なくてもランチやカフェだけに立ち寄ることができます。


まだ知らない方、もうご存知の方、もう行かれた方、是非機会があればお勧めスポットです。

エメラルドグリーンの地中海を眼下に★付きミシュランのレストランのあるホテルがあります。




このホテルは有名のようですが、パリ市内のホテルに比べたらリーズナブルで、お部屋も大きくてゴージャスというより、可愛らしい中世のおとぎの町に迷い込んだような・・・そんな時間を過ごせる魅力があるかもしれません。


Ezeの地図です。中世の都市Cite Medievalと書かれていますね。
南仏のハーブや香辛料も青空市場の様に売っていました。そんな気楽さがいいですね。
一時の夢心地を味わい、車で移動中に先ほど居たEzeの町が【天空の城ラピュタ】の映画みたいに見えました。

Villefranche sur Merという街にエズから車で30分くらいで到着し、16世紀のチャペルをジャン・コクトーが内装のフレスコ画を描いたことで有名なChapelle Saint-Pierreへ立ち寄りました。
パリ・オランジュリー美術館の360度モネの【睡蓮】で囲まれるように、チャペルなど天井からコクトーの世界に包まれるようでとても素敵でした。
ニース近辺には、その他ピカソ、マティス、セザンヌ等のアトリエ・住居等がそのまま美術館になっている場所があり、ドライブをしながら訪れるのは最高ですね。
なるほど画家たちが【光】を求めて南下し、豊かな自然と海を描くために地中海にたどり着いたのはうなずけますね。

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