秋晴れの気持ちの良い季節となりました。
気が付くと、あの蒸し暑い夏が終わり、涼しくなりました。
さて、パルテイータ 全曲コンサートの第1回目が近ずいてきました。
バッハのインベンションやパルテイータの草稿譜、自筆譜、初版譜、原典版(ヘンレ、ウイーン原典版、ベーレンライター版)を比較し、色々な角度からバッハの作品を考察し、改めてバッハの偉大さを痛感します。
天才肌ではなく、コツコツと努力した作曲家だと感じられます。
才能があったことは言うまでもないですが、生涯を通じて努力し続け、大作を生み出していきました。
バッハが、≪私と同じくらい努力すれば、私ぐらいの音楽家にはなれる。≫という言葉を残しているそうですが、生涯を通じて勤勉な作曲家だったのではないでしょうか。
9歳の時には両親を病気で亡くしたバッハは、長兄ヨハン・クリストフ・バッハに引き取られ同居しながら作曲、オルガン、クラヴィコード、チェンバロを学びました。
決して裕福ではない環境で、ひたむきに学び、兄すらバッハの早熟さに嫉妬したと言われています。
その為、お兄さんが持っていたフランスやイタリア音楽が沢山書いてある本を、見ることを禁じられ、夜誰もいない時に「月の光」のもと、写譜をして学び、ほぼ写譜が終わった時に見つかり、取り上げられてしまったというエピソードが残っています。
その長兄ヨハン・クリストフ・バッハが書いた2つの手稿譜は、「メラー手稿譜」と「アンドレアス・バッハ写本」として現在、発見され保管されています。
「メラー手稿譜」は、1703年ー1704年頃から1707年頃までに集中的に製作。
バッハの作品は12曲。組曲イ長調 BWV832、組曲ヘ長調 BWV833。
「アンドレアス・バッハ写本」メラーの制作後に断続的に1713年かややのちまでに完了したと考えられます。
バッハの作品は15曲。序曲(組曲)ヘ長調 BWV820。
両写本には、フランス音楽も多く含まれることから、バッハが写譜をしながら、フランス音楽を吸収し、自分の作曲においてもフランス様式を取り入れたことが分かります。
また、ジャン・アンリ・ダングルベールの装飾音表をバッハ自身が写譜し、長男の「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの音楽帳」に書かれたバッハの装飾は、ダングルベールの装飾を真似していることからも、バッハがフランス音楽から大きな影響を受けていた事が分かります。
デュパール:装飾音表「チェンバロ組曲集[1701]」より
リュリ:オペラ(パエトーン)よりシャコンヌ
ルベーグ:装飾音表「チェンバロ組曲集[1677/97]」より
ルベーグ:チェンバロ組曲(5曲)
マレ:≪アルシード≫より管弦楽組曲(クラヴィ―ア編曲)
マルシャン:チェンバロ組曲 ニ短調(1701/02)
11月14日のコンサートは、パルテイータ第3,4,5番を取り上げますが、第4番はまさにフランス風序曲(Ouverture)から始まり、フランス風様式を見事にバッハの音楽に融合させている。また、第3番、第5番はイタリア様式で書かれているが、それぞれ全く異なる性格を持っています。
第3番は、ファンタジア(Fantasia)から始まり、ウイットに富んだBurlesca(ブルレスカ)、Scherzo(スケルツォ)といった楽章が独特のキャラクターを与えています。
第5番は、イタリア様式とフランス様式が見事に癒合されています。
Praeambulum (プレハンブルム)というラテン語:プレリュードの意味のタイトルで、即興的な書法で書かれています。
Corrente(コレンテ:イタリア語のスペルで書かれ、16分音符が断続的に流れるイタリア風で書かれています)。
Tempo di Minuetta (Menuetとしていない所がバッハ独自のタイトル)。
Passepied(パスピエ:アウフタクトのある早いフランスの舞曲)
Gigue(ジーグ:フランス語のスペルで書かれ、付点のリズムのフランス様式で書かれています)。


