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claveciniste et pianofortiste

外国談義/L’histoire de l’etranger

皆様こんばんは。
昨日は、東京で初雪が降り寒い日が続いていますが、パリの石畳や教会の石造りの底冷えする感じとまた違いますね。
日本は湿気た寒さ?家の中などは、セントラルヒーテイングなどに比べると寒いでしょうか?
私の家も知らぬ間に築25年の木造、隙間風がピューピュー入ってきますね。
3月の地震の時は、家がダンスしている様に揺れて、あのままもっと強くなったらサンドイッチの様に2階、1階とペシャンコになる危機感を初めて感じたので、今度またあったら、愛するチェンバロがありますが・・・逃げないと本当に大変そうです!
さて昨日は、大学卒業以来の再会!という旧友も含め過去にドイツ、ポーランドに留学していた同級生と会いました。
国それぞれ、またドイツ内でも治安の良いヴュルツブルク、フライブルク、リューベック等違うようですね。みんな帰国して9年、5年、3年経った・・・とそれぞれなのですが、演奏活動にピアノ生徒も50人毎週教えている超人的なMちゃんや、リサイタルが一昨日終わったばかりのYちゃんなど、とても良い刺激を受けました。
一体みんな帰国してどうやって活動し始めたの?と聞くと、4人に2人は帰国前に大学の非常勤講師に応募したり、ドイツ語の通訳を外国人の公開レッスンの為に必要でないかと問い合わせたり、動いていたという事です。
ピアノに比べてチェンバロの職というのは、20分の1という位少ないと思うので、自分で動いていくしかないですね。4月にコンサートを企画中ですが、2箇所何となく良い感じです。確定したらお知らせしますね。
【留学ポーランド編】
ポーランドに9年居たCちゃんは、1年経ってやっと何を言っているのか分かり、2年目から話し始め・・・と時間がかかったようですが、今ではロシア語も似ているので何となく理解できるそうです。
ポーランド語とは!想像もつきませんね。でも、面白いのが”日露戦争”で勝っているので、親日家が多いそうです。こういう事は住んでみないと分かりませんね。
笑ったのは、とにかく飲みたいので乾杯しまくる!ということで、
始めは【Yちゃんに乾杯!】その次に【誕生日が近い人に乾杯!】
そして【Yちゃんのご両親に乾杯!】行く末は【Yちゃんのおばあちゃんに乾杯!】という位・・・
みんなウォッカやビールを飲みまくるという・・・凄いですね。本場です!!
ドイツも物凄い大きなビールジョッキで3杯位普通で、ミュンヘンのSeptemberfestというビールのお祭りでは、知らない間に隣の人とみんな肩組んで歌って飲み明かすそうですが、テントの中で密封された中で飲みまくり、その後風邪が大流行になったこともあるとか!?

【韓国人ー日本人の友達】
私もボストンへ住み始めた1年目に韓国人の神学を勉強している友達ができ、それはそれは濃い家族の様な友達愛?!とでもいうような感じでしたが、韓国人の女の子同士の友情というのは、日本人の2倍以上濃いですね。それでも、その子がしばらく経ってから
【私の人生で日本人とこんなに仲良くなるとは夢にも思わなかった。】と。
私は全く意識していませんでしたが、今でこそ韓流が大流行で距離が近くなりましたが、韓国では小さいころから【日本軍がどんなにひどい事を韓国にしたか、忘れてはいけない】という教育方針で教科書にも色々書いてあるそうです。
でも、思い返しても小学校の教材に日本では【日本軍が韓国や中国に何をしたか】なんて全て省いてあり、何も知らないわけです。
そして、アメリカというお互いの自国を離れた環境で2人が会い意気投合したのですが、彼女からするとまるで想像もしていなかったそうです。その彼女は、熱心なクリスチャンで教会に勤めるのでは?と思いきや、ある日突然【アメリカに嫌気が刺した】と韓国に半年帰国。
何と戻ってきたら【私、女優になるの!】と目を輝かせている。
その時彼女は27歳位でかなりの遅いスタートだったのですが、今でも夢を追ってハリウッドに居ます。こんな極端な進路を歩んだ友達も他に例を見ませんが、L.Aに遊びに行ったら朝から【ブルゴーギ:牛肉&キムチ】を凄い勢いで食べていて圧倒されましたが、あそこまで行くとあっぱれ!という感じですね。アメリカで生きていくにはそんな感じが良いかもしれません。
アメリカとヨーロッパは実際に住んでみて、肌でも感じますが、アメリカはさっぱり、カラッとドライ。空気も乾いているし、人間付き合いもカラッとしているでしょうか。
それに比べてヨーロッパは、どこかしっとりしていて、自国の文化と歴史が既にあるので、その流れがある上で新しいものと融合していく。
でも、古い物も大切にしてい居る所は素晴らしいですね。
不思議とアメリカヨーロッパはすんなりと行けたのですが、今ヨーロッパを知ったうえで果たしてアメリカに住めるか?と聞かれたら結構???ですね。
何となくですが、その”しっとり感”というのは案外音楽には大事な気がします。
パリ、アムステルダム、ヴェネツィアでもその町の”空気”というのが何とも言えず漂っていますね。人間性、お天気、食文化、音楽、宗教も違う・・・
でも、同じ大陸に小さな国が密集して隣り合わせになっているというのは、どこか隣国から影響されながらも、自国のキャラクターを守ってきた・・・という面白い作用があるのではないでしょうか。
ベルギーは、今でもフラマン語、フランス語が公用語でブリュッセルの標識には2か国語で書いてありますが、フラマン語圏の地方とフランス語圏の地方がそれぞれ独立したいと今でも大変なようです。
スイスに初めて行ったときにも、朝ごはんの牛乳パックにイタリア語、フランス語、ドイツ語で同じ言葉が全部3か国語で書いてあるのにびっくり!
シリアルを食べながら、語学の勉強ができるじゃない~。と新鮮でしたね。
東京に戻ってくると、色々な意味でリセットされる感じですね。
アムステルダムパリに引っ越した時に、自転車生活に慣れてしまい、【村人感覚】になってしまった!とパリが大都会に感じましたが、1度東京に戻って来てパリへ戻ったら【なんだ、小さいじゃない】と思ったことがありました。
パリは山手線内の広さ、または世田谷区の面積と言われていますが、東京の方が遥かに大きいですね。
それでも、駅構内の人の波の中に居ても、身の危険を感じないでバックが開いたままでも誰も気にしない・・・というのは、パリの北駅と違うなと思います。
いつもパリの北駅等へ行くメトロの中では必ずジッパー式のきっちり閉じれるバック+肩にかかえて脇に挟み、じっとしているけど、警戒している感じ=自然な状態として生活していました。
思うと、かなり緊張した状態ですが、本能的に【ピピピピピ~~】とウルトラマンの信号でないですが、赤信号を感じるんですね。
ということで、本当は全然違う事を書こうと思っていましたが・・
外国談義になってしまいました。こういう話はつきませんね。
では、この辺で。

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