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claveciniste et pianofortiste

セーヌの夕焼け/couche du solei sur la Seine


パリへ初めて行ったのは大学3年生の時。
初めてバイトをして、貯めたお金を全部はたいて、なぜか【フランス】へ行ってみたいと思ったのです。
その頃のフランスのイメージといったら、
1.Bonjour(しか知らず、まだ動詞の活用を覚えている頃)
2.フランスパン
3.国旗のトリコロール(赤、白、青)
そして、ゴッホの絵が大好きだから、彼の生きた南仏へ行きたい!
ひっそりとした朝霧の中のノートルダム寺院。パリの発祥の地、サン・ルイ島とシテ島
そんな思いで初めてパリへ行き、セーヌ川からの風景を見た時に、
あまりに美しくて、誰かに話しかけたくなるほど・・・
その時、感動しながら「まるでモネの描いた絵みたい」
でも見ているうちに、まずセーヌがあって、それをモネ達の印象派の画家が描いたというのに気が付き、
こんなに綺麗ならみんな描くよな~~としばし浸っていました。
その後、アメリカーオランダを経て、まさかその時佇んでいたノートルダム寺院の横にその9年後に住むとは、思いもよりませんでした。

人生は不思議ですね。
始めからパリに魅かれ、魅かれ続けていたのに、全くコンタクトがなく、結局アメリカへ行き、そしてパリへ行きたい気持ちは山々だったのに、相変わらず縁がなく・・・
その間約10年毎年、何かと理由を付けてはパリへ行っていました。
そんな、恋い焦がれたパリに、結果的に6年間住み、「バラ色」のイメージから、住んでみたら厳しい現実で、まるで半年続く「グレーの空」の様な印象。
パリに憧れてフランス語も分からないまま留学する日本人が陥る【パリ症候群】という、うつ病の様なものがあるそうです。
海外に住む日本人で一番うつ病が多いのが何とパリ!と前にデータを見てビックリしながらも、納得しました。
あまりに強い憧れと、実際に住んでみたギャップの違いや、自分の言葉がほとんど通じない。憧れのパリジェンヌと比べれると、自分はどうひっくり返ってもああなれない・・・
私自身3か国に住んで、パリほど外から見たイメージと、実際に住んだ時のイメージが異なる都市もないのではないか?と思います。
始めの2年間は、【空気の”じ~~”っという音が聞こえるほど】何も起きませんでした。
人も知らなければ、仕事もない!
ないないだらけ。

それが、ガッタン、ゴットン・・・と動き出すまで2年が経ち、その後は恩師のユゲットおばあちゃん(83歳)やルセ、ラファエルなど多くの素晴らしい音楽家との出会い、演奏、交流の中で【演奏している時以外に吸収するもの】を知らぬ間に学ばさせて貰った気がします。
そんな素敵な出会いのお蔭で、今パリは【グレー】から、再び【グレーがかったローズ】のような、イメージでしょうか。

どこでもそうですが、友達や心を開いて話せる人が1人居るだけで、その街は特別になります。
そして、久しぶりに会って話し、全く違う住んでいる場のニュースや、美味しいレストラン、コンサートなど話すのは、とても楽しいですね。
去年、本帰国してから、パリへは4月へ行き、また来月行きますが、今では【愛しかった恋人】に会いに行くような気分です。
過ぎた時間の思い出をとても貴重に思え、それでいて、今の自分とパリの関係は、とても良い距離の様な気がします。
やはり、インスピレーションを貰う意味では、かけがえのない場所です。
そこらじゅうに、面白そうな展覧会やコンサートが毎日の様にやっており、目移りするほどです。
そして、やはり美術館のコレクション等は、かなわない!
あれも、これも!
という程、子供のころからどこかで見た名画が一杯です。または、絶対にパリでしか見たことのないデッサンや、特集なども大変興味深いですね。

アメリカのボストンでお世話になったチェンバロの先生がパリに遊びに来たときに、お散歩をしながらメトロに乗る為にバスへ乗ったら、ちょうどセーヌ川を越えて、ルーブル美術館を通るコースでした。
突如として不意に現れた【ルーヴル美術館のピラミッド】におお!!と驚嘆し、慌ててカメラを出していました。
博学なピーターでも、本の中で読んでいたヴェルサイユ宮殿やルイ王朝時代の建造物が現れたら、やっぱりびっくりするんだな~と見ていて面白かったです。
ルーヴル美術館の建物になっている昔の王宮と現代建築のピラミッドの融合した姿はとても斬新ですね。あそこに使われているライトアップのLEDライトは日本製だと帰ってきてCMで知り、日本とのつながりがそんな所にあるのに嬉しくなりました
ピーターは、ボストンではBachの様に知らない人は居ないという位、オルガンークラヴィコードーチェンバローフォルテピアノと何でも弾けて、何でもにこにこと”Yes”と引き受け、みんながハッピーになるようなプログラムと説得力のあるレッスンで、ボストン大学の古楽器科の主任として有名ですが、ヨーロッパでは勉強していないんですね。
でも、彼のオフィスの音楽スタイルに関する本の棚はびっしりで、どんな質問をしても的確で明確な返事が返ってきて、私のチェンバロの基礎5年間は彼に学びました。今でも心から尊敬している音楽家であり、恩師です。
ただ、今ふと気が付いたのはパリの恩師であるユゲットやルセ(ルセもユゲット弟子)の家には、300年前のオリジナルのチェンバロや、絵画、アンティーク家具があり、蚤の市で見つけたという18世紀当時に出版された楽譜等に囲まれた部屋の中で生活をしていて、【本の中】だけでなく、実際に17-18世紀の歴史を身近に手に取って感じれる空間で音楽をしているということでしょうか。
初めてユゲットおばあちゃんに会った夏の講習会。チェコ、ポーランド、ブラジル、フランス、ロシア、そして日本の6人が集まり、毎朝起きて300年前の名器へムシュで練習&レッスンを受けれるという夢のような10日間でした。

だから、チェンバロの17-18世紀の時代と今も繋がった空間の中で音楽をできるので、自然に感じるのですね、その点、ヨーロッパから帰国した友達と話すと、始めは新宿を歩いてもブラームスを感じないし、そういうイメージがどんどん薄れていくから、自分の中でイメージを持たないと・・・と言っていました。
それでも、帰国してみんなそれぞれに一生懸命活動し、教え、頑張っている姿を私も尊敬し、大いに励みになっています。
やはりアメリカも日本と同じくヨーロッパ音楽を輸入した第三国であり、自分の国の音楽ではないのですね。
アメリカに住んでいて、週末はビールでボクシングやバスケット、野球をみんなで観戦している友人たちを見ていて、【これがアメリカの文化】と、はっとした時がありました。
勿論Jazzのメッカでもある分けですが、やはり西洋音楽の特にバロック音楽は、ヨーロッパの宮廷文化や、教会音楽と共に発展した為、切っても切れない分けです。
日本人である以上、これはヨーロッパへ行かなければいけないと痛感し、オランダーフランスへと移動しましたが、アムステルダムは今でも自転車で移動できる【中世の町】のサイズのままです。
数日前にお寿司屋さんで会ったオランダ人女性とも話していましたが、アムステルダムでは、どこへ行くにも【自転車で5分、遠くて15分】の中で全て用事が済ませてしまうのがいいよね~と。
アムステルダムに2年住んだ私は、知らぬ間にすっかり【村人】の感覚で生活していて、パリへ引っ越してメトロに1時間乗るだけで、物凄い疲れて【あ~~都会だ~~~!】と思ったことを覚えています。
しかし、その後東京へ戻ると、パリは何か小っちゃいね=山手線内の大きさらしい・・・
程よいサイズねと感じたり。
そんな伸び縮みの感覚が面白いな~と思っていました。
きっと、色々な都市を行き来していらっしゃる方は、その街に到着すると、スイッチが入れ替わって、言葉、地理感覚(どこが美味しいレストランかも!)、行動範囲の体感するものも自然にパッパッとアジャストしているのではないかと思います。
そういえば、昔ピーターに、チェンバロ、フォルテピアノ、ピアノとどの様に両立すれば良いの?タッチが混乱しない?と聞いた時、
数か国語を話すのと一緒に、始めは行き来するのが大変だけど、次第に切り替えが早くなり、問題なくなってくるよと。しかし、いくつかの場所に同時に住めないのと同じに、始めはある一定期間じっくり時間を過ごすことが大事だよ】と。
なるほどと納得したのを覚えています。面白い例えですね。
数か国飛び歩いている友達は、やはり5-7か国語を話せて、でもそれがそんなに特別な事の様には感じていない…と言った感じで、恐れ入った!といつも仰天します。
そう思うと、人間の順応性とは凄いですね。
私は、大阪弁すら話せないです!!

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