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claveciniste et pianofortiste

ブリュッセル フォルテピアノ 1回目リサイタル終了/le 1er recital de fortepiano a fini a Bruxelles

パリーブリュッセルは高速タリス列車でたったの1時間20分!国境が県境みたいです。菜の花畑が見えると黄色い田園風景が続きます
ハイドンのシンフォニーが終わった後、先週は月曜から金曜までずっとブリュッセルに居ました。
金曜日にフォルテピアノでのリサイタルがあり、楽器に慣れるのも兼ねてパリに戻らずに毎日ピアノ漬けの日でした。
ガラスのアンテイーク屋。余談ですが、こういう風にガラスが並んでいると地震があったら大変!と考えてしまうのは日本人・・ですね。
ハイドンを弾いてた週はずっとチェンバロで、ピアノも練習したくても練習する時間がない、コンサート、録音のある日は朝から4,5回に及ぶチェンバロの調律も間にあって神経をとても使います。
そして、教会だったせいもあって温度が低い為狂いやすいです。
コンサート時に使う強いライトが直接チェンバロに当たると10分も弾いてれば調律が狂ってくる・・・・というので休憩の間にまた調律・・・と休みなし。
ブリュッセルやオランダはよく暗いこれから嵐がきそうな・・・というレンブラントの絵に出てきそうな空をよく見ます。
幸いオーケストラの場合は楽器を借りているのでいいけれど、大事なコンサートは自分のチェンバロを家から運んでいるから勿論コンサート後も運搬しないといけないし、部屋も引っ越しの様にぐっちゃぐちゃ!になってしまう・・・・
Mozart時代の5オクターブ半のコピー
そんなこんなで月曜日にオーケストラの後にパリから電車でブリュッセルに行き、 *さあ~~ピアノだ*と思っても指がまだチェンバロタッチ。
弾いてもピンとこない。体の中にも音楽が奥から感じれない。楽譜もまだ頭に入りきっていない。
・・・・・・・うむ。
だからといって弾き続けて体がバリバリになってしまうのも本番前だから良くないしなあ・・・と過去の失敗から思う。
ペダルはまた足で踏む構造が発明されていなかったので膝のぼこっと出っ張ってる2カ所を持ち上げるんです。足が短い私は足台を使わないと、吊りそうになります!
ということで4日間のペースを考えてメニューを考える。何となく。
1日目 通して今どういう状態がつかむ。チェンバロからピアノへのタッチ、メンタルの切り替え。
2日目全体像をつかむ。録音してまだ下手な部分をチェック。音楽的にまだ浅い部分を取り上げて練習。
3日目テンポの関係、音質、テーマの部分など曲の構成を再確認。
4日目テンポで曲の最後の部分が3曲とも詰めが甘かった為集中的に練習。
この4日間の間毎日、友人や知り合いに *ちょっと聞いてもらえる?*とお願いして音楽家同志なのでヴァイオリンやチェロ、歌の人にも聞いてもらいました。
毎回、練習では大丈夫なのに緊張するとぼろぼろ・・と間違えたり、ちょっと気を抜くとすこん!と間違える!悲しいが現実!!(苦笑)
これは、ベートーベン、メンデルスゾーン、シューベルト時代のもっと後期のウイーン式ピアノのコピー楽器。
ベートーベンのOp.110、メンデルスゾーンの厳格なるヴァリエーション、C.P.E バッハ(J.Sバッハの次男)フォリアのヴァリエーションの3曲を演奏しました。
ベートーベンも初期のソナタと違って後期3大ソナタの1曲で、すでに彼が聴力を失い、持っていたピアノ(ウイーン製のグラーフ、かなり頑丈な大きなピアノ)に耳をあてて、脳に伝わる振動音を聞いて作曲されたと言われるので、精神性がとても深い曲。最終楽章は、第9のようにフーガでテーマが次々と現れ最後はスケールの大きな盛り上がりへと通じます。
ちょうど、オーケストラの中でホルンやオーボエ、コントラバス、ヴァイオリンの横で弾いてたせいもあり、色々な楽器のイメージが自然に聞こえてくるのは良い経験だったなと思いました。
ピアノだけで練習しているとなかなか実際にオーケストラの楽器をイメージしにくい場合もあるので。
2台のタッチ、音色、ペダル全て違うのですぐに弾き分けないといけません。黒い普通のピアノからすると右のピアノのタッチは5分の1くらい、左も3分の1くらいの軽さでしょうか。今のピアノは鍵盤を触ってハンマーが実際に弦を叩くまで13工程もかかるそうですが、まだこの2つは直接ハンマーを叩くシンプルな1工程の構造なので、とても繊細です。
メンデルスゾーンはバッハを深く尊敬して、実はバッハの死後埋もれていて多くの名曲、マタイ受難曲などもメンデルスゾーンのお陰でロマン派の時代に再びバッハの音楽が盛んに演奏されるようになりました。
メンデルスゾーンがいなかったら、今バッハがここまで有名ではないかもしれない・・・
カール・フィリップ・エマニュエル バッハは、バッハの数多い子供(13人以上だったか・・・)の中でも特に優秀でプロイセンの王様の宮廷音楽家として使えました。
お父さんのバッハもわざわざ足を運び、王様が提案したテーマをもとにその場でとても複雑、難解なフーガをいくつも披露したことで有名。のちにJ.Sバッハがきちんと楽譜に書きなおしたものが*音楽の捧げもの*。
プロテスタントとして生涯自分の音楽を神に捧げ続けたバッハの晩年の大作です。
練習の合間にサブロン教会にお散歩
次男のカール・フィリップの作風はちょっとやんちゃな!斬新的なハーモニーやメロデイー、アイデアで今もバロックの演奏家の間で多く演奏されています。
ということで、どこかでやはり作曲家同志が通じているような気がしてならない。ベートーベンのこのソナタのフーガのメロデイーもJ.S バッハのマタイ受難曲のキリストが息絶える前の最後のアリアと同じメロデイーなんだよ。と歌の子が教えてくれた。ヴァイオリンの子もそうそう。と弾いたことがあるのでうなずく。
へ~~そうなんだ~~と新鮮なアイデアに妙に納得。

歌の子はベートーベンも自分の最後のソナタと思ってこのメロデイーを選んだの?これは最後の曲?と聞かれたのでもう1曲後に書いたけれど、そういう心境だったのかもね。。。と話していました。
ヨーロッパの人達は自然に聖書やギリシャ神話など色々な話と道を歩いていて見かける彫刻などが結びつく。私は、詳しくないので聖書のどの登場人物か・・・それがどういう意味をあらわすのか・・・よく分からないのですが・・・
修復が終わったばかりなので右の彫刻は白っぽくきれいですね。
でも、こうやって曲や絵画、彫刻や教会の小さなモチーフでも、ああこれはあのシンボル、これはこの場面・・とみんな指をさしたり、うなずいていることが多いです。
話がずれたけれど、練習の合間にすぐ横にあるきれいなサブロン教会に行ってみました。
きれいなステンドグラス。そして入口にあった天使の彫刻・・・などなど、細部はきりがないです。

音楽も、バロック音楽をやる人はモダン(普通のピアノやバイオリン)とどう違うかというと、全体像だけを見るのではなく、まさしくこういう教会の細部の彫刻を見るように、楽譜を見る傾向が多いと思います。
このメロデイーは上行してるのに、2回目は下降している。どういう転調をしているのか、ハーモニーの色がどう変化しているのか、音楽の骨組であるバス(低音)の持つ支え、和音、自然の流れを見ます。

そこに自分の考えを押しつけるのではなく、もうすでにハーモニーの中にある*色*を感じてそのまま表現するだけ。
そこにエゴイスト的な自分の意見はあまり押し付けません。
なぜなら、すでに作曲家の表現したいことが楽譜の奥に全て書かれているからそれを汲み取るだけ。
そんな考えを持っている人が多いのではないかと思います。

勿論、音楽は1人1人自由な考え、見方、表現方法ができるから素晴らしいのですが、趣味、趣向は一言に*素晴らしい音楽家*と言っても違ったりすると思います。
私は、日本でみっちり音楽教育を受けたが正直自分にピッタリくるような音楽への向い方が見つからなかったように思います。
周りを見れば登竜門と言われるコンクール、リサイタルなどをどんどんこなして有名になっていくことが成功の唯一の道のように見えました。
しかし、そこにハマらない自分が居ました。
自分に合う音楽って何だろう?

そんな疑問を持ちながら、本能に任せてピアノ、チェンバロ、そしてフォルテピアノに移り変わる中で色々な音楽感を見ました。
そして、やっぱり自由。自分の思った価値観で音楽を自然にしていけばいいのかな・・と思い、今の自分がいるのでしょうか。
だから、チェンバロとフォルテピアノを弾いているのは英語とフランス語を話すような感じかもしれないですね。似ているけど違う部分もきちんと区別しないといけない。
でも、表現したいと思う心は自分から発しているので楽器や言葉は手段に過ぎないかもしれない。

かなり話が脱線してしまったけれど、ピアノを20年、チェンバロを10年そして今再びフォルテピアノを通して作曲家の見ていた、聞いていた*音*に近い世界を感じながら改めてピアノ曲に触れられるのは大きな喜びです。
勿論、チェンバロの方が17-18世紀と時代が早い為、音楽もシンプルで音が少ないのでテクニック的にはあまり難しくないけれど、その分音楽性や間の使い方が大事になります。楽譜からどれだけ作曲家の意図をくみ取るかという視点がとても大事です。
そしてこの2年自分でも*リハビリ*と称して再び1からやり直した気分でピアノに向かい始めました。本当に8年さぼった漬けは大きかったです!!!一番正直なのは体で、指や腕、肩が始めは1時間以上重い鍵盤を弾くだけで悲鳴を上げてました。だから2時間以上は続けて練習できなかったですが、少しずつ慣れてきました。
ミサの最中でした。
ピアニストやヴァイオリニストや水泳やアスリートの人たちみたいに肉体的に毎日きちんとトレーニングしていないと筋肉がすぐに鈍ったり衰えるし、ましてや8年休んでいた私の手はすっかりピアノで鍛えた20年の筋肉はきれいになくなっていました。指輪のサイズも2つくらい小さくなったのではないでしょうか。ピアノの時にパンパンで入らなかった指輪は今はくるくると回ってしまいます。
しかし、筋肉を使う弾き方ではチェンバロは弾けません。余計な力が一切必要いらないから。
その為、あえてピアノの癖を抜く為にチェンバロのみに集中しました。
今、再び両方の楽器をサンドイッチの様に交互にこの2ヵ月弾いているが、まだ切り替えるのに1日ほど時間が必要だけれど、こなせるようになってきました。

3ヶ国語話すように行き来すればすれほど慣れる・・・
とアメリカの先生が言っていた。彼は5つの鍵盤楽器を演奏できるので、以前にどうしたらできるの?と聞いたことがあったので。
そんなこんなで、結局先週のフォルテピアノのリサイタルは精神的にはかなりキツイ状況だったけれど、とても集中して自分の深い部分を見て演奏できた気がします。

どう聞こえたか・・・というのは、客観的に分からないけれど、聞いていた人が演奏家はどんな時でも、舞台に上がったら楽器の前に座って、100%自分が音楽に向かってなければいけない。と
その意味で彼は私が前後凄い忙しくて今回はピアノだけに用意できなかったのを知って、本番の集中力は最後まで持続していたし、精神的に崖っぷちの方がけいは、精神的に深いところから表現がでるかもね?!
と言われましたが、弾いてたこっちは必死ではっきり言って音楽以外考えられない状態でした。
それがいいのか悪いのか別として、良い緊張感として出る場合もあるし、勿論*ゆとり*があるにこしたことはないと思いますけれど。
おいしそうな手作りお惣菜屋さん
来週はまたシューベルトのピアノトリオと6月4日は楽器博物館でモーツァルトのファンタジー、ソナタとショパンのソナタ2番、そしてヴァイオリンのフランクのソナタを演奏です。
2台使用するのだが、ショパンとフランクを弾くピアノはオリジナルのアンテイークピアノのプレイエル1843年。先週、楽器博物館で練習させてもらったが、何とつやのある素晴らしい音!
まるでピアノのストラディヴァリウスみたい・・・と思ってしまった。
ヴァイオリンの子もpp(弱音)でも本当に音色の変化が出るピアノだねえ。と言っていた。彼女もピアノに触発されてもっと自由に色々な表現ができそう・・・と言っていたのでどうなるか楽しみです。
帰りの電車で食べる御手製ケーキを買ってパリへ
6月の2回目のこのリサイタルが終わったら一息できるがその後はまたオーケストラでドイツツアーに行く予定。グルッグやヘンデルのアリアなど歌手と。
ビュルツブルグWurzburgというモーツァルトが幸せだった頃に過ごした中世の町らしいです。楽しみです。
では、長くなってしまいましたが、また。

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