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claveciniste et pianofortiste

楽器との出会い/la rencontre de l’instrument

楽器との出会いは、まるで人との出会いに似ているような気がします。
何千、何万とある楽器の中から一生に出会う楽器も限られているでしょうし、ましてや自分の手元に来るというのは、運みたいなもんでしょうか・・・
こんなことを感じたのは1か月前に1822年のイギリス製のブロードウッドというスクウェアピアノが来たからです。
5月、6月はフォルテピアノ(古いピアノ)での本番がある為、それに向けてモーツァルト、ベートーベン、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、フランクの大曲を並行して仕上げないといけないので、どうしても家にピアノがないとキツイ!
ということになり、知人のチェンバロ修復家のアトリエに行って秋に修復したばかりのこのピアノで練習させて貰いに行ったりしました。
その時、彼は17世紀のアンテイークチェンバロを修復していて3週間後にお披露目コンサートがあるのに間に合わない!と明けても暮れてもそのチェンバロにかかりっきりの様子で、隣の部屋で練習させて貰っても全然気にしない様子。
鍵盤の横には象牙でできたギリシャ神話に出てきそうな顔の彫刻などがあって、本当に博物館にあってもおかしくないような素晴らしい楽器です。でも、300年以上たっている為やはり2,3ミリの薄い響板などはバリバリに割れていたりして、どこまで昔の状態を残して、修復するのか・・というのもいつも修復家の考えやセンス、腕前によるのですが、できるだけ昔の素材を残す方が再現する音色が近いのでは?と思いますが、これも賛否両論です。
アントワープにある350年前に大変栄えた有名なチェンバロメーカールッカースの本物のチェンバロで、いまだに修復されていないチェンバロもありますが、それはやはり貴重なインフォメーションとしてありのままの状態を保存しているわけです。世界中のチェンバロ製作者はこのような昔のオリジナルのチェンバロの細部に至るまで研究して新しく自分で作る分けです。
話が飛びましたが、友人の制作家のアトリエには、もう1台ショパンの愛したらフランス製のプレイエルというグランドピアノがあったので、ショパンはそのピアノで練習させて貰いました。プレイエルの本当に素晴らしいピアノの音色はまろやかで、今のピアノではなかなか出せない甘い音色がもうすでに楽器に備わっています。
1900年初頭のSPで録音されたアルフレッド・コルトーやメニューインと妹さんのフランクのソナタ・・・など、白黒のフィルムで残っていたりするのを見ると、譜面台の美しい曲線やピアノの足の形などから、このプレイエルやガボー、エラールのピアノを使用していたりします。
キラキラのニューヨークスタインウェイの音とはやはり違います。これは全くの好みであるけれど、昔のピアノは他の日常品とも同じように1つ1つ職人さんが丁寧に心を込めて仕上げていたから、暖かみのある音色があります。
無理に叩いたり、音色を作ろうとしなくても、もうすでにピアノの中に眠っている何とも言えない現代には失われた*音色*が眠っています。やはりピアノを繊細に感じ取れる人が演奏すると、そういう古いピアノから美しい音色を引き出すことができます。弾き手が優れているかとうかは、ピアノが教えてくれるわけです。人ではないのでとても正直です。
フォルテピアノは10年以上前からずっと惹かれていたが、実は手をあまり出しませんでした。
というのも、ピア二ストならヤマハのピアノ1台で済むし、チェンバリストも取り合えず1台あれば済みます。
しかし、この2台の楽器の間にどんどん発展して色々なモデルがあるフォルテピアノ(古いピアノ)は、何代も必要となります。
実際、モーツァルトの曲はチェンバロがまだある1750年頃ピアノが発明されてハイドン、モーツァルトがこぞって興奮してこの新しい強弱を表現できる鍵盤楽器(チェンバロでは弦を1本、2本、3本使用するかを選択して強弱を表現するけれど、ピアノのようにハンマーで叩いていないので別の構造)の為に作曲したから、やはり5オクターブのピアノで弾くべき・・・となります。
ベートーベンのソナタ32曲を見てみると、ソナタ1番は1795年に、32番は1822年に作曲され27年の歳月が流れています。この間にピアノはどんどんと改良、変化して新しいモデルがイギリス、ドイツ、フランスで開発され、ベートーベンなど優れた作曲家には最新のピアノがプレゼントされたりあしました。
パリ市庁舎近くのサンジェルべ教会。チェンバロの素晴らしい名曲を残したクープラン家族がオルガ二ストをしていたことで有名。
その為、ベートーベンも以前よりも音域も増え、強弱やペダルも5つくらいあって(今は3つなのに当時はシンバルや打楽器がピアノの中に内蔵されているのものあり、トルコ行進曲などに使ったりします)想像力をかき立てられ、どんどんと彼の音楽も新しいスタイルが生まれました。
そんなこんなで、やはりベートーベンのソナタも全て1台のピアノで弾くことは無理です。鍵盤が足りなかったり、時代が合わなかったり・・・
ということで、イタリアやドイツなどの大変貴重なコレクターのシャトーや音楽財団には、7-10台にもおよぶ違う時代のピアノがあります。
そして、最高の贅沢はその250年ー100年前のピアノでピッタリのその時代にあった曲を演奏するのです。
その為、フォルテピアノでコンサートする際は、モダンピアノのように弾きたい曲をプログラムするのではなく、まずどの楽器を使用するのか~どの時代が合うか~楽器の良さを引き出す曲~ホールの大きさ~などと逆に楽器の可能性から考えます。あまり大きすぎる空間でも楽器の良さが伝わらないのでサロン風の方が良かったりもします。
または、ショパンのプログラムを演奏したい場合は、ショパンの愛したプレイエルが借りれるか探さなければいけません。
サンジェルべ教会内のオルガン
本当にまあ面倒といえば面倒なのですが、ピッタリの楽器でその曲を演奏した時には、どこかしっくりいくし、作曲家の実際に聞いていた*音*やタッチ、世界観をピアノを通して知れることは、現代に生きる私たちにとって本当に貴重なインフォメーションだと思います。
なので、できるだけオリジナルの楽器を見れたり、弾かせてもらえる機会はある方が、そういう経験が宝となり新しいピアノを弾いても、この時代はこういう音だったかな・・・という記憶が体の中に残るわけです。
本当に気が付いてみると日本人なのにヨーロッパの古い楽器でその時代の音楽を演奏することに興味を持っているというのは、おかしなことかもしれません。
それは、きっとフランス人が日本の*茶道*などに惹かれて京都に住み、日本語を話し、千利休の使った茶道具を見て感動しているのと似ているのかな?なんと思ったりしますが、何人でも素晴らしいものは感銘するのだと思います。
セーヌ川の夕日
昔、小沢征爾さんがクラシック音楽はあなたにとってどういうものですか?とインタビューされた時にこう答えたとおっしゃってました。
N,Yの汚いアパートから見た夕日がきれいだった。
ザルツブルグの丘から見た夕日もきれいだった。
川崎の海で見た夕日もきれいだった。
クラシック音楽もそんなものかな?と。
きれいと感じる心に国籍もないのでは・・・と。
そして、ご自身を日本人としてどこまで本場のヨーロッパでやっていけるのか、実験中なんですよ。と
こりゃ~~~すごいな。と大学の頃に思いました。私にとってもチェンバロとフォルテピアノはそんな理屈抜きに惹かれたものでしょうか。
本当に凄い方は、全然偉ぶらないのがいいですね。でも、小沢さんとバッと正面で合った視線はそれはそれは強烈で、電気ショックみたいに感じましたが、指揮をしている時はもっと集中した視線で*ここ!*なんて言われたら、固まっちゃって弾けなくなりそうですけど。(苦笑)
でも、指揮者の方は、そういうカリスマを持っている方が多いのでしょうか。そうでないと100人の人間の作る音や空気を混ぜ、調合できませんね。
では、今日はここら辺で。

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