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claveciniste et pianofortiste

オランダ・ドイツの旅/Le voyage en Hollande et Allemagne

皆様こんにちは。いかがお過ごしですか。
昨晩1週間の旅行を経て無事にパリへ戻りました。
旅行1-2日目オランダ(アムステルダム、ハーグ)アムステルダムといえば自転車王国!
2年間通った旧アムステルダム音楽院。今は、中央駅近くに移転しています。
今回の度は、懐かしいお世話になったアムスの先生、友達との嬉しい再会とドイツのバッハを中心とした作曲家の旅をし、ライプツィッヒとベルリンの楽器博物館も思いがけず大変充実していて、素晴らしい旅行でした。
高校時代からの旧友が2人ともオランダで無事に男の子を出産したので、会いに行きました。オランダはほとんどが自宅出産で助産婦さんが交代で家に来てくれるシステムなんだそうです。
男の子を産んでお客様が来た時に出すというの伝統がこの可愛らしいお菓子。かりかりの焼いてあるパンにバターを塗って、ブルーのお砂糖がのっています。女の子はピンク。
3日目アムステルダムーベルリン(2時間飛び1泊)翌朝ポツダムへ(電車1時間)
ベルリンの空港を降りて、顔の肌に冷っとした感じがマイナス?という感じ。
実際、3日間の移動中、3日目は最低気温マイナス2度、最高気温6度という寒さ。
なのに、ニュースの天気予報ではパリは最高気温15度。え~~?そんなに違うの?
ということで、普通のコートでは寒い、寒い!という感じで帽子と買って赤ずきんみたいに耳まですっぽり隠して、寒い限界!になるとカフェで暖まったり、スープを食べたりして暖まりました。
不思議なのは、ドイツは同じヨーロッパでもパリやロンドンより気温が約10度も低く、かなり冷え込んでいて、びっくりしました。
C.P.Eバッハが30年も働いていたポツダム・サン・スーシー宮殿C.P.E バッハが弾いていた&J.S バッハも弾いたであろうジルバーマンのチェンバロも見れてとても良かったです。
久しぶりに10代の頃の様に『未開の地』を初めて歩くというフレッシュな旅行で、ロンドンから合流した旧友と一緒にあちこち歩いてドイツ名物のソーセージを食べたり、楽しみました。

写真は、ベルリンの楽器博物館で撮って良いということで、撮りまくっていたら電池切れ・・・でベルリンの風景は残念ながらあまりないですが、ルッカースFamilyのチェンバロがあったので、デテールも撮ってきました。少しずつUpしてきます。
4日目ポツダムーライプツィッヒで半日観光(電車で1時間)ー夜ワイマールへ(電車で1時間)
『トーマス教会』
バッハが働いていたライプツィッヒのトーマス教会
ステンドグラスに有名なバッハの肖像が!
トーマス教会内。ここで毎週末バッハの書いたカンタータが演奏されていました。バッハが多くの時間を過ごしたかと思うと、何だか親近感が湧きました。

バッハが眠っています。ゴルドベルクのお礼参りができて良かったです。
『バッハ博物館』
教会前にあるバッハ博物館。オリジナルの肖像がと自筆譜が展示されていました。
自筆譜のヴィオラパート
Upして見ると・・・
これは、コピーですが、譜めくりの為、次のページがメモ的に赤い●の中に書いてあります。みんなやることですが、バッハもしていたんですね(笑)
『メンデルスゾーン博物館』
メンデルスゾーンの肖像画。品の良いお坊ちゃんという感じですね。現実、作曲家の中でも最も裕福だったと言われています。別荘に行っていた際には、毎朝決まった時間にお庭で朝食を食べ、絵画のデッサンをしたりしていたそうです。
ライプツィッヒにあるメンデルスゾーンの家だった博物館。今もサロンコンサートが行われるようです。
バッハと同じライプツィッヒに住んだメンデルスゾーンが、バッハの偉大さを称え、初めてマタイ受難曲を上演して忘れかけていてバッハの音楽を再度復興したことでも知られています。
メンデルスゾーンのピアノ
1848 Traugott Berndt
1828/30 Johann Nepomuk Trondlin
絵画もとても上手だった多彩なメンデルスゾーン。スイスの風景がが多くありました。
メンデルスゾーンの手
メンデルスゾーンの亡くなった際のDeth masqueと絵
『ライプツィッヒ楽器博物館』
メンデルスゾーンハウスから徒歩4分くらいの所にある大学の?博物館ですが、充実したコレクションで驚きました。ハースのクラヴィコード、フォルテピアノを初めて発明したクリストフォーリのチェンバロ2台(真っ赤なシノワズリの装飾された別ケース付き)、シュタインのフォルテピアノ、などなど。
5日目ワイマール半日観光ーベルリンへ(電車で2時間)
『リスト博物館』リストの肖像画とBruthnerのピアノ

ポツダム:ゴージャスなリストの家(現在はリスト博物館)
ポツダムの博物館宣伝の車にリストの顔が!『Follow me!』と書いてあります。
ゲーテの家(現在の博物館)横にある、ゲーテやシラ―も通ったというレストラン。ジャーマンっぽいですね~。
ロンドンから合流した旧友は高校から一緒の20年来の分かりあった友達、ピアニストだったので、作曲家やゲーテ、宮殿など訪れたい興味が一緒だったので、とても楽しい3日間&彼女のお陰で1人旅だとどこかで構えて緊張するのも、地図を持たずにぷらぷら歩ける気分でナビゲーターをして貰い、ありがたかったです。
ワイマールをお散歩していたら、可愛いレストランの看板の隣に?バッハ・・・何とかと書いてある。
良く見たら、C.P.Eバッハとフリーデマン・バッハが産まれ、1707-1718年まで住んでいた場所・・・と!そうか。バッハはワイマールにも住んでいたんだっけ。

また、歩いているとこんな素敵な紅葉のお家がありました。
ここにもプレートが。よく見ると、マルテイン・ルターが1518年に住んでいた家と。これまたビックリ!
みんなご近所さんだったんですね。バッハとルターは200年の差がありますが、プロテスタントだったバッハは敬意を払っていたでしょう。
リスト、ゲーテ、シラーの家も全て徒歩10分くらいの中に全てあり、半日で回れてとても良かったです。また、ベルリン、ポツダム、ライプツィッヒ、ワイマールはそれぞれ電車で1時間ずつ位なので、昔の馬車で移動しても1-3日で着いたでしょうに、バッハの本でただ読む地名でなく、実際に訪れて地理関係が分かり納得がいきました。
6日目ベルリン半日観光ー夜パリへ(飛行で2時間)

『ベルリンの壁』
最後にベルリンはまた戻り、夜の飛行機まで半日観光。ベルリンの壁がまだポツダム広場に残っています。
『ベルリン楽器博物館』
ベルリンのソニービル(ポツダム広場)の裏にある楽器博物館へ。

入るとこんなにある!なぬ~。一気にハイテンションになりましたね。
1618年Andreas RUckers
チェンバロではハンス・ルッカース、ヨハネス・ルッカース、アンドレアス・ルッカース、フォルテ、クラヴィコートでは、ハース、ピアノではシュタイン、ワルター、W.F.バッハが使っていた?チェンバロも展示してあり、弾けませんでしたがかなり面白かったです。
天使にA.Rのイニシャル


後ろは、こんな珍しい装飾
1594年Hans Ruckers親子Virginal

踊ってる人を見たのは初めて!
逆立ちしちゃってるし・・・

ドイツに乾杯!
久しぶりに自宅に戻りほっと一息、洗濯をし、明日からは北フランスへ5日間チェロのラファエル&パスカル夫婦とリハーサル、コンサート、子供への分かりやすく教える授業、マスタークラスなどをしてきます
バッハの録音後1週間パリで休んだつもりでしたが、どどどっと疲れが旅行中に出てきて、毎日の移動もあり、かなり消耗しているのでは?ということで、今日はマッサージに行って休んできます。

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