最近1900年初頭のフランスの芸術家、藤田嗣治やピカソ、ゴッホなど葛藤と共に生き抜いた画家の生涯のドキュメンタリー等を見て、今の時代に比べてどれだけ困難な時代を生き抜いたのだろう・・・と思います。
レオナール・藤田(この前髪カットは自分で切っていたそうで、『貧乏で苦労した時の心境を忘れないように』と一生続けたそうで、Fujitaのトレードマークですね。
藤田さんの遺作ともいえる、亡くなる数カ月前に一気に描き上げたランス(Reims)にある礼拝堂のフレスコ画も数年前に見に行きましたが、戦争を挟み、フランスと日本の両国のどちらにも属しきれない自分、でも最後に日本を捨てて、フランス人の『レオナール・Fujita』としてフランス国籍を取得し、クリスチャンの洗礼を受け生まれ変わった藤田さんが最後に全てを出し切って制作した礼拝堂。
礼拝堂に入ると360度に渡って、聖書の場面が描かれていて圧巻です!一生に一度は是非機会があれば訪れて頂きたい、おススメスポットです。
正座をして描いていますね!
憧れのパリに着いても、貧乏で洋服が変えずに冬は『毛布に丸い穴を1つ開けて、そこに首を通してポンチョにして来ている画家が何人も居た・・』と彼のエッセイに書いてあり、どんな凄い貧困状態の中で画家を目指していたのだろうと思いました。
「カフェにて」1949-63その後、パリのSalon D’automneで日本画にも通じる独特なFujitaにしか描けない『乳白色』の肌を描きパリで認められたにも関わらず、帰国し日本では戦地の画家として戦火を描き、それが戦後に大変な批判を受け故郷を捨て、パリに戻った時、パリジャンはもう彼を受け入れずに冷たかったそうです。
Fujitaの乳白色が全くない、戦火の記録画。
100年前のパリで日本人というだけで、疎外感を感じたであろうに、1度認められた後にまた疎外されるというのは、どれだけ辛かったかと思います。そのせいで、田舎へ引っ越し制作活動を続けたそうです。
また、ピカソはまだ売れない無名な時に、友達に当時パリで有名な画廊へ友達を走らせ、
友達:『ピカソの絵はないですか?』
画廊:誰だね?それは?
友達:『知らないんですか?今、大変人気の素晴らしい画家ですよ。』
という噂を立てさせ、その後実際に、画廊からのオーダーが増え、注文が入ったということです。
そんな時代がピカソにあったなんて信じられませんね。
この間、私が住んでいたアパートはモンパルナスの近く でしたが、
藤田さんのエッセイには、
『モンパルナスの墓地近くにアトリエのある、ピカソというスペイン人の変わった画家に会いに行く』
と書いてあり、その当時藤田さんもまだピカソを知らずに交流が始まるという場面で、ここら辺でそんな画家達がカフェをしていたんだろうな~と、ピカソが通ったと言われているVavainの駅周辺のLa Rotonde などを見ると想像していました。
藤田 嗣治に関する詳しいリンクはこちらよりご覧頂けます。私も画家や作曲家を辿る旅は大好きです。
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