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claveciniste et pianofortiste

シャンパーニュとバッハ/Le champagne et Bach


ひょんなことから、友達とシャンパーニュ地方で6月にバッハのフルートソナタ6曲のコンサートをやろう!ということになりました。
このフランス人の友達は10歳からフルートをやっているのですが、根っからの音楽好きでビジネスマンからパリのオペラ座に転職してしまったりしたくらいです!
この間思い切って会社を辞めて、退職金をもらって12月にはアルゼンチンにPolo(馬に乗ってボールを打つスポーツ)をしに1カ月行ったり、来週からは新しいビジネスの可能性も含めて1カ月インドやシンガポールへ行くようです。
今は彼もサラリーマンだった頃よりも時間があるので、1月の私のコンサートに来てくれてその後一緒にバッハでも弾こうかということになりました。

去年、その友達が6月にシャンパーニュ地方でコンサートをして、レセプションでは素晴らしいシャンパーニュが出され、優雅な週末を過ごしたようで、今年も同じオーガナイザーの元でやろうかということになりました。
幸いチェンバロをオーガナイザーが持っているということで、楽器の運搬などもなく問題なさそうです。
そのオーガナイザーも、アマチュアだけどフルートやピアノも弾いてなぜかチェンバロを持っているそうです。フランスの文化や芸術愛好家のつながりというのは、何とも優雅な世界で暮らしている人達が多いです。
それだけ文化の大切さを重んじ、なおかつ生きがいとしている人達が多いからこそ今まで継続しているのでしょうね。

それとは、別にこの間パリのサンジェルマンとセーヌ川の間にある素敵な1902年から始まっているというアールヌーボー調のインテリアのカフェでランチを食べました。

Entrée(オントレ、前菜)にみんなでシェアするのに丁度良いかとハムの盛り合わせを頼みましたが5人で調度良いくらいのボリュームでエシレのバターと共に、パンにつけておいしかったです。
ということで、6月はバッハとシャンパーニュのコンサート・・・
バッハがシャンパンを飲んだかは謎ですが・・・お酒は飲んだのではないでしょうかね。
真面目だけれど、なかなかウイットに富んでいる人だったと思います。

今は4月24日と28日に東京で企画しているバッハの大曲:ゴールドベルグ変奏曲の準備をしていますが、30個のヴァリエーションは次から次へと異なるアイデアが溢れ、玉手箱のようです。
バッハの想像力、作曲の力というのは限界を知らないというか、とてもシンプルな1つのアリアから30個の様々な変奏曲を書きその才能と言ったら・・・計り知れないです。
バッハの作品をどの曲もただただ頭が下がるばかり・・・ですね。

聞く耳とは/les oreils pour écouter

この数日間再び雪がちらつく寒さでしたが、今日は1週間ぶりくらいに快晴です!とても気持ちが良いお天気です。
今のピアノにたどり着くまでにクラヴィコード、チェンバロ、フォルテピアノ、オルガン・・・といくつもの鍵盤楽器が発展して500年ほどの歳月がかかりました。
100人居れば100つ個性があるように、タッチも1つ1つの楽器は職人さんが丁寧に音を聞きながら仕上げているから違います。初めて弾く楽器はまるで知らない人と出会ってお話しているような感覚です。ですから、自分の中で何となくその楽器の性格や特徴が分かるまで少し時間がかかります。
多少、それぞれの楽器の奏法というのはありますが、目の前にある楽器に一番適した楽器の音を弾き出すには最終的には“聞く耳”しかないと思います。自分の耳が研ぎ澄まされていれば、自然にタッチが柔らかくなったり、指先だけしか必要なかったり、腕も使ったり変化し、楽器の良さを引き出せます。
しかし、エゴイストのようにただ自分がこう弾きたい~~!と、何も楽器から返ってくる音を聞かなければ、一人よがりの演奏で、はたから見ていると“楽器が可哀そう・・・”ということになりかねないです。一方的に私はこうだ~~~と他人に話しているようなものかも知れません。

やはり赤ちゃんには赤ちゃんへの、活発な感じの人とはそれだけのエネルギーを、また内面性を秘めている人とのコミュニケーションはまた違うように楽器との接し方も違う訳です。
特に昔のオリジナルの楽器は200年、300年経っていて個性や癖、数百年経って変化した”木”から感じられる風合いの音がありますし、とてもデリケートですから、叩きすぎると壊れる可能性もあります。
また、面白いのは同じ楽器でも実際にコンサート会場で弾いたり聞いたりして初めて分かり真価というのもあります。
実際、私のチェンバロも1年間家でしか聞いていませんでしたが、先日初めて家から持ち出してコンサートで使用して音の質や性格など初めて客観的に見れました。意外とMasculinな男性的な低音が太めなキャラクターだと分かりました。また、弾き続けて馴染んでいくと柔らかさも出て来ると思いますが、それも自分で“育てて”いかないといけません。
新しい楽器はまだ木が変化し続けている為、湿度などできるだけ管理して極度の乾燥などあると数年後には響板に亀裂が入って割れてしまう事もあるのでまるで赤ちゃんのように気をつけてあげないといけません。
私はいつも運ぶには大きくて一苦労なのにデリケートなので(Grand bebe)大きな赤ちゃんと言っていますが、みんな本当にそうだと運搬屋さんもうなずいています。
この間ピアノとチェロの友達と話したら、みんな勝手に好きな名前をつけているようです。かなり受けましたが、勝手にジョージとか名前を付けているようです。(苦笑)でも愛着が湧いていいですね。
犬や猫にも名前がある訳ですから。
でも、私は特に具体的な名前を思い浮かびませんが、3年間待ち続けた楽器が自分の部屋にあるというのは、かけがえのない幸せを感じます。
そして、鍵盤のキー1つ1つにしても、装飾画にしても職人さんの手で1つ1つ大事に仕上げられ世界に1つしかない訳ですから、感謝ですね。
次は5月のブランデンブルグ協奏曲全曲演奏会の時に再び持ち出します。はらはらしますが、やはりコンサートで慣れ親しんだ楽器で演奏できるというのは安心感が違います。

コンチェルト/le concert


7月にブルターニュ地方(パリより北西でモネの愛したエトルタ島やモン・サンミッシェルがある)で小さな音楽祭があります。
モネはブルターニュのBelle Ile(美しい島の意味)に10週間も滞在して絵を描いたそうです。
これは、ブルターニュ出身の音楽家が集まって何かをやろう!ということで昨年度より始められ、大盛況だったようです。
以前にお城のコンサートなどでご一緒したヴィオラ奏者の方より、是非また一緒に演奏しましょうということで準備が始まりました。
モネ 1883年エトルタ島
5,6人のメンバーはバロックオーケストラで弾いてたり、普段はベルギーに住んでいるフランス人だったり、それぞれですが、大変光栄なことに若手チェンバリストとして活躍しているベンジャマン・アラールさんと共演させて頂くことになりました。彼は18歳の若さでバロック音楽の登竜門であるブルージュ国際コンクールで、満場一致で1人になり、その後活躍しているオルガにスト・チェンバリストです。
ブルターニュの郷土料理としてクレープとリンゴ酒(シュゼット)が有名ですが、日本の神楽坂にフランス人の経営する本場フランスから取り寄せたそば粉のクレープ屋さんがあるようです。カフェ・ル・ブルターニュの詳細はこちら。
彼と一緒に演奏するコンチェルトはJ.S バッハの次男であるカール・フィリップ・エマニュエル バッハでのチェンバロとフォルテピアノの為のコンチェルトです。彼は、才能を高く評価され、プロイセン公国のフルートを演奏するフリードリッヒ大王のお気に入り宮廷作曲家として多くの名曲を残しました。
ちょうどバッハ(お父さん)のチェンバロが栄えた時代から次男のC.P.Eバッハの活躍し始めた時代は初めてピアノが開発され、鍵盤楽器の移行期でした。C.P.Eバッハの住んでいた宮殿にはいくつものチェンバロ、ピアノがあったようですから、最新の鍵盤楽器をいち早く発掘して作曲していたようです。
J.S BachとC.P.E.Bachの絵。ちょっと怖い気もしますが・・・
なかなかチェンバロの音質とフォルテピアノの音質のコンビネーションとは稀ですが、演奏する機会も少ないので楽しみです。
また、それ以外にも何かフォルテピアノでコンチェルトを弾いてみては?という案が顔合わせのデイナーの時に出ました。予想外でしたが、モーツァルトか何かをやってみては?という意見も。
なるほど。
最近モーツァルトのコンチェルトからは遠いレパ―トリ―に親しんでいた為、数週間何となく自分の頭の隅において時間が経ってしまいました。
でも、気がつくとそのコンサートは7月始めで7月末にはチェンバロでバッハのブランデンブルグ協奏曲の大きなソロパート(コンチェルトほどの大曲)の本番もあり、これは早めに準備をしないと大変なことになるのでは?とやっと気がつきました。
1798年ウイーン式フォルテピアノ
そこで、昔・・・といっても、もう15年くらい前?になるでしょうか、やったモーツァルトのコンチェルトをちょっと弾いてみると、馴染みのある懐かしい響きと共に、やはり新鮮さもあり、せっかくならやろう。と思った所です。
なかなかコンチェルトは1人で弾く訳でない為、十分な準備、本当に手に入ってないと他人に迷惑がかかります。テンポが遅くなったり、オーケストラのパートを分かっていないとコミュニケーションもスムースに行きません。
ということで、今は4月の東京公演の用意と練習にやっと集中・・・と思いきや、同時進行で東京から戻ってからのピアノのコンチェルトも用意しないと間に合わないらしい・・・・
と小さな頭の中で気がついたしだい。
でも、超多忙な音楽家達は1週間で違うプログラムを旅をしながら、軽々と演奏してしまうでしょうし、いつでも何でもこい!くらいに、何でも手に入っているのがベストでしょうか。
まだまだですね。でも、自分への小さな挑戦として1歩ずつ進んでいきたいと思います。そうすれば、今まで不可能と思って居たことも気がついたらできていた・・・という風に許容範囲が広がっていくのだと思います。
本当にいつも友人のピアニスト達を見ても心から尊敬してしまいます。ピアノは肉体的にも消耗しますし、とにかくレパートリーが広い!バッハ、クラシック、ロマン派、そして近現代まで膨大なレパートリーを常にこなしていくわけです。
チェンバロの栄えたバロック音楽は大体1650年ー1750年の間くらいに限定され、イタリア、ドイツ、フランスのそれぞれのスタイルの違いなど装飾音や伴奏法でも詳細を知ることがとても重要視されます。
その為、演奏のみでなく学術的な研究心の多い”おたく”な人がとても多いです。でも、2010年に生きている訳ですから1700年の音楽を本当に理解する為にはその時代の教則本や装飾の仕方、スタイル、趣味、どんな劇や文学が好まれていなのか、思想、宗教…など文化的背景を知ることが大変重要となります。

ピアノを弾いていた時はあまり作曲家のことなどについて本も読みませんでしたが、真面目な友達はきちんと読んでいましたね。(苦笑)私はモーツアルトは本当に生きていたの?というくらい実感が湧かないわかないまま指だけ勝手に動いていました。
大学生の時に初めてウイーンに行ってモーツァルト博物館になっている彼が実際に作曲した天井画など見て、この場所で彼が書いていたのか、また実際にコンサートが行われた舞台は本当に小さく、ある意味ショックを受けました。
天才のモーツァルトがこんな小さな所で弾いていたの?と。
今の2000人ほど収容できるコンサートホールの感覚からすると考えられない50人くらいのスペースだったでしょうか。でも、うっすらと壁に残るフレスコ画などが印象に残っています。今でも観光客向けの小さなコンサートが行われているようです。

その小さな場所で演奏されていたのが、開発されたばかりのフォルテピアノだったわけです。別に2000人に対して演奏する訳でないので楽器の響板に鉄筋が入って大きな音が鳴らなくても良いのです。
きっと、当時の人の“耳”や、時間、そして距離感など現代人と全く違うのではないかと思います。
バッハ家も愛用していた“クラヴィコード”という小さなテーブルのような、弦を持ち上げて振動させる楽器もありましたが、それは、自分や2,3人の友人が楽器のすぐ横で耳をそばだてて聞かないと聞こえないほどの小さな音です。雨の音でもかき消されるような・・・という表現が昔の手紙に残っていたようです。
しかし、そんな繊細な楽器と向き合って居ると、本当に自分の指先、耳の感覚が研ぎ澄まされ、知らない間に自分の心と対話しているような・・・そんな感覚になります。
そして不思議なことにクラヴィコートを弾いた後に、それよりも音量の大きいチェンバロやフォルテピアノを弾くと、なぜか上手くなっている訳です。それは、”聞く耳”が研ぎ澄まされると色々な人の気持ちが理解できるようになるのと似ているでしょうか。
ですから、違う楽器を1つのコンサートなどで演奏する場合は、必ず小さい楽器から大きな楽器へと移動しないと、感覚がずれて大きな楽器で弾いて(例えば今のピアノ)その後にチェンバロを弾こうと思っても叩き過ぎてしまうのです。
17,18世紀はTVやインターネットもなければ、電話もない。お手紙も馬車で運ぶから数日~数週間かかったでしょう。
そして、月や蝋燭の光の中で、自然と共に生き、感じ、音楽という存在があったのではないでしょうか。実際バッハが晩年白内障に悩み目が悪かったのは、10代の頃に戸棚に大事にしまわれて自由に見る事の出来なかった他の作曲家の曲を見たくて、夜中に内緒で月の光のもとで写譜をし続けたことが大きな原因と言われています。
アムステルダムやウイーン、またパリも壁で街が囲われていた歴史的な都市は、今でも徒歩圏内で主要な場所に行けます。アムステルダムに住んでいた時は自転車で5分、15分(まあ遠い方)30分(遠い)という感覚で生活していました。本当に中世サイズなんですね。未だに王宮は街の中心で銀行、駅、郵便局、教会などが全て徒歩圏内にまとまっています。パリもセーヌ川両脇にほとんど主要の全ての建物が連立しています。
そうして見ると、やはり17世紀、18世紀に人々がどんな暮らしをしたのだろう・・・というのは、楽譜からだけでない、街の匂いや実際に歩いてみて実感することも作曲家を知る大きな手掛かりになります。
1900年St-Gervais教会
パリのマレ地区にある教会では、素晴らしいチェンバロ作品を残したクープラン家がオルガにストとして勤めてましたが、今でもそのオルガンは毎週のミサで演奏され、教会では修道女と修道士が毎日祈りを捧げています。そんな雰囲気を垣間見るだけでも、クープランが生きていた頃の空気を感じれる気がします。
今でもSt-Gervais教会はセーヌ川沿いにそびえています。

ボビー マクファーレンの即興/Bobby Mcferrin

私の大好きな歌手、ボビーマクファーレンの素晴らしい即興の歌を偶然Youtubeで見つけてから気がついたら時間を忘れて見入ってしまいました。
彼は20年ほど前に”Don’t worry be happy” (クリックすると聞けます)で爆発的なヒットをして有名になりましたが、それまでにこの曲は何百回、何千回と街角で歌っていたそうです。
アムステルダム音楽院に居た時に彼がコンサートでコンセルトへボーに指揮をしに来たついでに音楽院に来て生徒に2時間あまりの“夢のような”楽しいレクチャーコンサートをしてくれました。最後には
”誰か僕とブルースを歌いたい人!”と言ってオランダ人のJazz科の歌手の子が立ち上がり一緒に即興をしました。
その時に即興をするコツを同時に説明してくれたのですが、相手をよく聞くこと。そして、少しずつ相手のメロデイーに同調するように音を足していくと言っていました。
実際の観客との即興はこちら
ボストンでもボストン交響楽団が普段演奏しているシンフォニーホールにジーンズにTシャツに裸足(!!)で出てきて、椅子にちょこんと座って歌い始めました。10分後には1000人が一緒になり会場の観客も歌いすでに彼の世界に呑みこまれていました。
彼の会場を1つにしてしまうて様子
ライブコンサート彼のお父さんはクラシックのオペラ歌手ということで若い頃から歌のトレーニングなどは慣れ親しんでいたそうですが独自のリズム感や即興などは昔から慣れ親しんでいたようです。
何よりも印象的だったのは、学生からの質問で”Don’t worry be happy”の成功で何が変わりましたか?という答えに対して
家族と過ごす時間が2年間与えられたこと。家に戻っても子供の誕生日の写真にいつも自分の写真はツアーで居ない為なかった。と。
また、If everyone pray,there will no wars…(もし全ての人が祈る気持ちを持っていれば戦争はなくなる)とも言っていたそうです。
毎朝彼は今日生きれることを感謝して祈るそうです。彼の音楽を通じて、こんなに“音は楽しいんだ!”と再発見した人々は世界中に多く居ると思います。
ただ堅苦しく聞くちょっと高級に見えるような音楽でなく、こんなリラックスした人間らしい音楽は人種や年齢を問わず受け入れられますね。これからも素晴らしい即興のアイデアを伝えていって欲しいです。
本当に偉い人はこういう風に全然偉ぶらない、普通なんだろうと思います。音楽家としてここまでラフにステージで素のままの自分でいられていることほど凄いことはないと思います。
そういえば、学生たちに舞台での心掛けに、
you know,you are on the stage,and feel at home…just walking around…and you just start,right?
(ステージに上がったら家にいるようにリラックスして、歩いたりして馴染んで・・・で何となく始めてさ、ね?)と軽く流したらみんな、
Oh,right.Because you are Bobby!But it’s nothing special,everyone can do it!
”そりゃ~Bobbyだからそうできるさ~~!て思うでしょ?!でも別に特別なことでなくて即興は誰でもできるんだよ!”
と言って会場がどっと笑いました。

ゴールドベルク変奏曲/La variation de Goldberg

重要なコンサートが11月に終わり、ほっとした頃にどっと疲れが出て先週1週間は久しぶりに軽い風邪を引きましたが、お陰でかなりゆっくりと休みました。
今は、またバッハのゴールドベルグ変奏曲に取り組み始めましが、いや~~難しい。
でも、きっとバッハの中では“難しい”という意識はなかったのだろうなと。
30個のヴァリエーションが全て、本当に寄木細工のように巧妙に書かれています。
1つ1つの曲だけ見てもテーマが凝縮していて、何とも自由自在には色々な雰囲気、キャラクター、音の響きがあり、どんなに想像力が豊かな人だったのだろう・・・と思います。
1715年30歳のバッハの肖像画
無限な可能性を信じて一生作曲し続けた行き方自体を敬虔なプロテスタントであったバッハは神に捧げていたのではないでしょうか。
そうでなければ、曲の中に暗号のようにバッハの頭文字を曲の中に組み込んだりしていなかったでしょう。
バッハは数学者や科学者も秘密で入会していた秘密結社の1人であった・・・という説があります。
ヨーロッパでは、昔ABCをそのまま数日にA=1、B=2,C=3…というようにアルファベットを数字に直すと自分の名前も数字のシンボルとして表現できるわけです。
バッハは、
B A C H=2+1+3+8=14
ファミリーネームのJ.Sを足すと
J.S BACH=41
つまり、14も41もバッハの名前を表します。
バッハについて研究した本はあまりにも沢山出版されていますが、ある曲のカノンの数を数えると14回出てくる、あるテーマを数えると41回出てくる・・・というように普通に聞いても分からないのですがよ~く楽譜を見るとそんな暗号のようなものがある訳です。
これは、聞いている人にはあまり分からないことですから意味がないのですが、作曲したバッハにとっては、曲の中に自分の名を刻みこんでいるというのは、音楽を”神への捧げもの”と考えていたのではないか・・と思います。ドイツ語のよく分からない私でさえ、カンタータを聞いてると、何回Jesus…Jesus…でキリストへの呼びかけが出てくるんだろうと思います。
バッハ(左)と3人の息子たち。長男のWilhelm Friedemann Bach、次男のCarl Philippe Emanuel Bachはバッハの作風からさらに発展して独特のスタイルを生み出して今でも演奏されています。
そんなこんなで、到底私の脳みそには及びもつかない“天才”の頭脳と自分の才能に対して本当に謙虚にひたすらに音楽を神に捧げていた、田舎町にひっそりと住んでいたバッハ。
ゴールドベルク変奏曲はただでさえ難しいですが、1つ強く感じるのは”高慢”な心では弾けないということ。
曲があまりに偉大過ぎるのか分かりませんが、少しでも”こんなの簡単に弾けちゃう~~”なんて油断したら最後、一瞬にしてグチャグチャになって弾けなくなってしまうような・・・
そんなどこかもの凄い精神性の高い“品のある”曲集ではないかと思います。
ので、あまりに弾き手が低俗な心だと、はじかれてしまうというか、弾く資格がないような・・・感じさえします。
バッハ(チェンバロを弾いている)と歌っている家族
作曲家があって演奏家が初めて演奏できる曲がある訳で、先週会ったフォルテピアノの恩師のピート・クイケンも“僕は赤ちゃんのように音楽に感動して、その素晴らしさをただ表現しているだけ”と言っていましたが、本当に素晴らしい曲があって初めて演奏家がいる意味があるわけです。
バッハが生きていた時は、勿論彼自身が指揮をして毎週の教会ミサ、カンタータを演奏し、死ぬまで書き続けた訳ですが、今は没後259年経ち2010年で260年になります。

バッハが生きていた当初も、勿論立派なライプツィッヒのトーマス教会の音楽監督に就任して27年間合唱の指揮、オルガン奏者として務めたわけですが、ドイツ国内でその名声はあったわけですが、まさか260年後にヨーロッパは勿論、アメリカ、そしてアジアでもクリスマスの時期にメサイアやクリスマスオラトリオが世界中で演奏されるとは夢にも思っていなかったのではないでしょうか。
日々の謙虚な製作活動がこんなに長く世界中の人に共感を与えるとは凄いですね。そして、当時はプロテスタントやカトリックなどまだまだ宗教革命なども激しくあった時代ですが、今では人種や宗教の差も越えて聞かれているというのは素晴らしいと思います。

そういえば、偶然昨日リハーサルをしたドイツ人と日本人のハーフの友達が丁度、朝お姉さんの住むライプツィッヒでコンサートをして帰ってきたということでクリスマスマーケットの有名なドイツでクリスマスカレンダーを買ってきてくれました。
これは12月24日まで毎日番号のついた日の窓を開けていくというものです。今でもライプツィッヒの広場はこんな建物なんだそうです。いつかバッハの縁のの場所を巡る旅をしたいと思っています。

マイケルジャクソン映画/Michaele Jackson:Thi is it! Movie

今日から急遽ロンドンツアー前に亡くなったスター”King of Pop”のマイケル・ジャクソンの最初で最後のリハーサル100時間の収録映像をまとめたドキュメンタリー映画This Is IT! が今日から2週間限定で世界中で同時公開されました。日本のオフィシャルサイトはこちら。画面に映ると映画の予告編が出てきます。
実は、東京で3回もマイケルのコンサートを見に東京ドームに行ったことがあるので、思わず初日に行ってしまいました。

私の記憶では3回の東京ライブで見た彼の顔は明らかに毎回変化して、最後は普通ではない・・・と思いましたが、それと同時に30メートル以上もの大舞台をムーンウォークをして熱狂させる彼の才能には、本当にあっぱれ!というか誰も真似ができませんね。
あのキレの良さといったら!
ということで、パリでも10個ほどの映画館で公開が始まりましたが、早いお昼の時間に行ったので思ったよりもすいていて、終了後の次の時間は長蛇の列でした。
アメリカや日本ではファンも多いことでしょうから大変な混雑だと思いますが、ここはやはりパリ・・・なので、少し冷ややかな感じですが、すいていて良かったです。
映画は1時間50分なのですが、まるで生のライブを見ているようだし、さらにコンサートでは見ることのできない舞台裏、どの様にリハーサルで練っていくのか、音楽やダンスのタイミング、マイケルのアイデアなどが次々と名曲と共に見れてとても面白かったです。

本当に素晴らしいアーテイストだと思いました。あんなに大きな舞台であれほど観客を引きつけ、自然に“見せ方”を知っているスターは少ないのではないでしょうか。勿論、相当な研究後にあれだけ自分の動作を知り尽くしているのだと思いますが、本当にプロですね。
舞台がまるで家のリビングの様に ”Feel at home”で自分の音楽のアイデア、メッセージを的確に伝える為にどうしたいか、イメージがはっきりとしているアーテイストも少ないと思います。
そして、彼の場合は映像や炎、舞台セッテイング、音響、ダンサーなどなど、あらゆるものを駆使して彼の理想とする世界を実現してしまう所が本当に参ってしまいます。どれだけの費用と労力がかかっているか分かりませんが、洋服1つとってもマイケルの為なら、とボタン1つからオーダーメードで彼の特注に合わせるようです。
マイケルの今までのVideoを見たい方はこちらよりどうぞ。
それにしても、あそこまで秀でている、踊れるエンターテイナーは居ないのではないでしょうか。50歳とは思えない!
でも、その華やかな面とは裏腹に、誰にも分からない孤独や精神的に追い詰められる面もあったことは容易に察せるほどの才能だと思います。
ダイアナ妃が生前の頃は、2人が電話で普通の人には話せない事を話してとても良い友達だったそうです。
そして、マイケルの亡くなる1週間ほど前に超能力者のユリ・ゲラーの自宅に夕食に招かれたマイケルの目を見て、ユリが”あなたはとても孤独な目をしている”と言ったら、マイケルが”そうです”と答えたそうです。
ユリ・ゲラーはなぜか13年くらい前に来日した際にお会いしたことがありますが、超能力でヘリコプターの上から油田のある場所を見つけて*ここを掘れば出てくる*と実際に当てて億万長者になったそうです。
話がそれましたが、マイケルはいずれにせよ、私たち凡人には分からない計り知れない孤独や追い詰められる何かがあったから、薬付けになってしまい、遂には自分の命を絶つほど体の機能をおかしくしてしまったというのは、本当に悲しい現実です。

しかし50歳という区切りの良い年で、しかも絶対に録画をさえなかったリハーサルを最初で最後、録画をして亡くなったというのも本人の中でどこかで”死”ということをどこかで意識していたのではないかと思います。
しかし、2時間の彼の素晴らしい才能を今日再び目にして、本当に素晴らしい才能が失われてしまい、それは本当にもったいないなあと思いました。
2週間限定ですので、ご興味のある方は是非おすすめです。マイケルファンでない方もきっと、気がついたら没頭しているのに気が付くと思います。
すっかりミーハーのようになってしまいましたが、失礼いたしました。

ロワイユモン・Royaumont

パリではバカンスに出掛ける人達が増え、入れ替わりに観光客もどっと押し寄せています。
さて、3日間昨日までパリから北へ1時間ほどの場所に、歌の講習会の伴奏で行ってきました。
ロワイユモンという大変素敵なところです。

もともと修道院だった場所をきれいに改装して、講習会や会社のセミナー、また結婚式の場所として使っています。

朝は、沢山のガチョウのファミリーがお庭に居ます。

色々な所に数世紀昔の建築がそのまま残っています。これは、昔建っていた教会の端の部分です。教会全体はフランス革命の時に残念ながら壊されてしまいました。
母屋と教会のつなぎの部分に残る遺跡。
このアヒルはここに住んでいて、もうみんなの慣れっこです。歌手のオロールと。
アヒルも伸びをするんですね!
入り口です。
そこから続く中庭。なんと反対側は、個人宅の敷地ということで立ち入り禁止なのですが、こんな素敵な環境に住んでいるなんて!
食堂。きれいなステンドグラスから柔らかい光が差し込みます。
お庭の川辺にカワセミが居ました。右奥の白いのはウエデイングドレスを着た花嫁さんが写真撮影していました。
レッスンに使用したチェンバロ
歌のレッスン風景。朝から夜まで歌のレッスンの伴奏を初見でどんどん弾いていきます。集中力が必要なので少し疲れましたが、歌の呼吸の使い方やフレーズ感などとても勉強になりました。

チェンバロとフォルテピアノ/Le clavecin et le pianoforte



5月中は、チェンバロとフォルテピアノで演奏するものが沢山あるので、
両方の楽器のレパートリーを同時進行で弾くのに挑戦しています。
現代のピアノから比べると、既にMozart時代のフォルテピアノは小さく、鍵盤は3倍以上軽いのではないでしょうか。現代のピアノよりも鍵盤が軽い為、手首や腕の小さな動きで十分です。どちらかと言えば、チェンバロ奏法に近いデリケートさが必要とされます。
そして、チェンバロは弦を弾く構造ですので、もっとデリケートで、ほぼ全て指先のコントロールによる奏法なので、腕に筋肉は、全く必要ありません。
過去8年間チェンバロのみに集中して演奏していた為、ピアノで約20年間鍛えた筋肉はほとんど落ちました。しかし、逆に言うと幼少の頃からのピアノの*癖*を抜く為に、チェンバロのみに専念しなければ、きちんと習得できないと痛感しました。
チェンバロを弾く為には、無駄な力や筋肉は必要ないので問題ありませんが、再びピアノを今引き始め、*あ~~~筋肉がない!!*と当たり前に弾けたパッセージが、一苦労です。

べートーベン時代のブロードウッドの鍵盤
そして、ピアノの練習を終えるとチェンバロでは使わない筋肉疲労を感じます。
まるで、ジムに行った後のようです!(笑)
その為、今は午前中はチェンバロでバッハのブランデンブルグ協奏曲を練習し、午後にピアノフォルテピアノを練習するようにしています。
時間差で切り替えれば、頭も体も少しは区別がつくというか・・・
まるで、2つの言語を同時に習得しているような感覚です。
例えば、フランス語とイタリア語は同じラテン系の言語ですが、細かい活用法や単語も似ているけれど微妙に違います。
似ているからこそ、細かい違いをきちんと習得するには、それぞれ別々にきちんとある程度の時間を費やすことが必要です。チェンバロとピアノも同じです。似ている部分もあれば、明らかに違う部分もあり、それは頭で理解するだけでなく、ある程度楽器に触れて体で習得しなければいけません。
エラールのフォルテピアノ
ロマン派以降のその時代のピアノフォルテになりますと、かなり大きな現代に近いものになりますが、やはり現代のピアノよりはタッチは軽く、まろやかな音がします。
そして、ショパン時代のプレイエルやその後のラベル、ドビュッシー時代のエラール製のピアノになると、タッチもかなり重くなってきます。
今は、チェンバロでバッハ、フォルテピアノでモーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ショパン、を同時に弾いているので、なかなか上記の理由から体も頭も慣れるまで時間がかかりますが、1度手が慣れればやはり20年親しんだピアノ曲なので、とても楽しく色々な発見や喜びもあります。
やはり時代が進むに連れ、細かい音符、早いパッセージも増え、曲のスケールも大きくなっていきます。それらのピアノ曲に必要とされる柔軟さやテクニック、構成力はチェンバロ曲に多く含まれる舞曲や音楽のスタイルとはかなり異なったものです。

子供の頃から大学までは、ひたすら現代のピアノを弾き、バッハからショパン、現代曲まで1つのピアノで弾くことにあまり疑問も持ちませんでした。
しかし、バッハをチェンバロで弾き始めてから、あえてピアノでバッハを弾こうとは思いませんし、作曲家それぞれの時代に合った楽器で演奏し、できるだけ作曲家の思い描いていた、また実際に耳にしていたピアノの音で演奏したいと思うようになりました。
それなりの苦労もありますし、どこでもまずピアノフォルテがあるわけではないので、不便なことも多いですが、今まで音楽をしてきて、今こうして2つの楽器を同時に演奏できることをとても嬉しく思います。

今、バッハの2番目の妻だった、アンナ・マグダレーナ・バッハの手稿記を読んでいますが、
バッハは、パイプを吸っている以外は常に練習を重ねて、あらゆる楽器のテクニックを完璧なレベルにまで鍛えていたと書いてあります。
バッハは、オルガン、チェンバロ、クラヴィコード、スピネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、ヴィオラ・ポムポーサ(5弦の小型チェロ)を演奏したと書いてあり、オルガンを演奏するには、風を送ってくれる*ふいご*さんがいないと音が出なかったわけですが、その人が居る時は、夜中でも教会に行って明け方まで弾いていた・・・とあります。
私もそれに励まされ、自分の中で少しずつ続けて努力していけば・・・と思っています。

フォルテピアノとチェンバロ/Le fortepiano et le clavecin

実は、去年の秋よりフォルテピアノを弾き始めています。このブログでも色々な古いピアノ=フォルテピアノの写真を載せていますので、ご存じない方はご覧下さい。
1702年のオリジナルのフランス製チェンバロ
ピアノとの違いは、今の黒いピアノの祖先にあたる1750年以降チェンバロから、強弱やペダルの機能が開発されたこの新しいフォルテピアノがすごい勢いで発展していきます。
その為、元々は5オクターブしかないチェンバロから、音域も5オクターブ半、6オクターブ、6オクターブ半・・・・と時代が進みに連れて幅広くなり、ピアノの大きさや音量も大きくなっていきます。
それは、人力車ー馬車ー車ーハイブリットカー と言う感じでしょうか。
小さなチェンバロ!
その為、モーツァルトが弾いていたドイツ製のピアノで後期のベートーベンを弾くと鍵盤が足りなかったり、逆にショパンの愛していたフランス製のプレイエルというピアノでモーツァルトを引いても、細かいニュアンスが出しにくいです。
フォルテピアノをやる人=フォルテピアニストは、私の友人にも多くいますが、みんな時代背景や楽器について詳しいですし、こだわりを持ってこの楽器にはこの曲を・・・と吟味してプログラムを作り演奏しています。
その為、贅沢な話ですが実際にモーツァルトからドビュッシーまで演奏しようと思うと、数台ものピアノが必要になります。
モーツァルト時代の5オクターブ半のコピーのフォルテピアノ
そして、1曲ずつその音楽に最適なピアノで演奏することで、より作曲家の描いていた音楽の世界に近かずく・・・・といった考え方でしょうか。
チェンバロのバロック音楽の演奏家達も、できるだけ300年前にどのように演奏されていたか、という奏法やスタイルを文献や楽譜をリサーチして、自分なりの解釈で演奏しようと試みて
います。
だからといって、2008年に生きている私達の世界観と1685年にヴェルサイユ宮殿で生活していた貴族の感覚は、全く違うかもしれませんが、努力と知識により、できるだけ近ずこうとすることは可能です。

前置きが長くなりましたが、私も幼少よりピアノを始め約20年弾いていました。
10歳ごろ、ピアノの先生がモーツァルトは天才だったのよ。。。。と言われても、本当に生きていたのかも実感できませんでした。
しかし、後に実際にウィーンの彼の自宅や作曲をしていた素敵な天井画のある部屋を訪れて、ああ彼は実在していたのだ・・・と初めて私自身とつながりました。
そうでなければ、お話の中の人のような感覚ですから、そのままモーツァルトの音楽をただ演奏しても、きっと何か深いものが足りなかったのではないでしょうか。
ショパンの愛したプレイエル
その為、今こうやってショパン時代のピアノで彼のノクターンを弾いたり、べートーベンが難聴になって耳を締めたピアノの蓋に当てて、そのかすかな聞こえる振動で作曲していた頃のピアノや、クララ・シューマンの持っていたピアノの1台前の製造番号の*音*を聞いたりすると、グッと作曲家との距離が近くなり気がします。
去年の秋まで、約10年間はチェンバロのみに専念していましたが、それまでに20年親しんだピアノのレパートリーを、今とても新鮮な気持ちで再び向き合っています。
フォルテピアノとチェンバロは似ているようですが、タッチやテクニック、音の慣らしかたもモデルにより大変異なります。
19世紀後期のフランス製エラールのハンマー
その為、今は、半分半分弾いています。例えば今週の半分はモーツァルトのファンタジーをフォルテピアノで月ー水曜日まで集中して練習し、木曜から週末は、来週アメリカで演奏するバッハのコンチェルトや5月末にパリで演奏するブランデンブルグコンチェルトを練習しています。
なかなか、頭の中が混乱することもありますが、これは時代に合った楽器で演奏していくということは、私の願いでもありましたので、苦労はありますが前向きにやっています。
それは、まるでイタリア人にイタリア語で話し、フランス人にはフランス語で、アメリカ人には英語で話した方が、本当に理解し合えるのと似ています。
例えば、ドイツ人が流暢な日本語で話してきたとします。それは、よりよく話せますし、色々な細かいニュアンスまで疎通しやすいですね。

楽器も同じだと思います。その為、ピアノでバッハを弾こうと思いませんし、弾いたとしても、どこかピンとこないと思います。それは、チェンバロの音色と表現がバッハに最も適していると感じるからです。
これからは、チェンバロとフォルテピアノと両方で好きなレパートリーを演奏していけたらと思っています。
今年は日本でもピアノのコンサートを企画しようと思っていますが、まずは練習。練習!

色々な音楽/ Les musique differentes


みなさん、こんにちは。
みなさんは普段どんな音楽を聞かれるのでしょうか。
ルネッサンス、バロック、クラシック、現代、Jazz,ボサノバ、ブルース、Pops、ワールドミュージック…..など上げたらきりがないですね。

私は、普段自分がチェンバロを弾いている以外の時間は、Jazzを聞くのが好きですね。
パリには、沢山の歴史の長いJazzクラブも多いので、機会がある時には、行きます。
私の友達でも、同じバロック音楽のフランス人のバイオリニストや、ハーバード大学で教えている数学者、日本語がぺらぺらなフランス人の現代アーティストなど、実はみんなJazzがとても好きだったりして、CDが何百枚・・何千枚とあったりします。
家ではお料理をしたり、リラックスしたい時は、ボサノバを聞いたりします。頭が緩みますね。
勿論、自分の専門分野やクラシックも聞きますが、本当に聞きたいときに聞きます。
リラックスしたくても、無意識に聴音をしていて、全部、ドミソラシ~~~ラミラ~~ソ~~と音を聞き取ってしまうので休みたいときには向きませんね。

そういえば、夏に出会ったブラジル人のチェンバリストの子がフランス音楽を弾いていたら、とても上手なのですが、フランス人の大チェンバリストが、
*pas trops de Bosa Nova!!*
”Not too much Bosa Nova!!”
 あんまりボサノバっぽく弾いてはダメよ。
と言っていました。みんな笑っていましたね。コテコテのフランス音楽だったもので。
何となく、音楽の感じ方、ビート感がふんわりしていなので、そう言われたようですが。
でも、ラテン系の人々のビート感、リズム感というのは、真似しようと思ってもできない、血に流れているような感じですね。
彼らにサルサをどうやって踊るの?サンバを踊るの?と聞くと、
リズムに乗れば、あとは勝手に体が動くと。

でも、日本人の血に流れている踊る・動きとは??
どう考えても、ウインナワルツは出てこないだろうし、サンバも出てこないけど、盆踊りなら何となく見よう見まねですぐ踊れる気がしますね。
そういうのが、やはり文化の違いの面白い所ですね。
フランス人の文化好きな双子兄弟は、(といっても、30代ですが)グラン・パレという1900年にパリ万博の開かれた会場で行われる、大舞踏会にタクシードを着て出かけるそうですが。
そんな伝統的な紳士もまだ居るのですね。

今日は、久しぶりにアメリカに住んでいた頃に旅行に行った、ロスアンジェルスの大自然の写真を載せてみました。
こうして見ると、アメリカとフランスの空気の質、太陽の光、湿度、自然のタイプが全然違いますね。アメリカの魅力は、こうした広大な自然とどこまでもからっとした空気でしょうか。

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